2014年5月31日土曜日

Maccoby and Mnookin 1992

その名もDividing the Child という本で、
けっこうあちこちの図書館にあって、取り寄せていただきました。
カリフォルニア州で行われた大規模な調査の報告書です。
Amatoさんたちのあのレビューの元になっているなかでも、最大級の調査研究じゃないか。

いやごめん、もちろん翻訳なんて無理だけど、いまパラパラみています。

こういうことかあとね。この分野、なんとなく漠然と「文系の人たちの仕事」と
おもってたんですが、もちろんそこには業務分担というか、学際な取り組みがある。

この本はつまり社会学の分野の調査の社会学の本なんですよ。
文系濃度が高い。データを得てくるのはアンケートで、
あらかじめある目的によって設問がつくられていて、
その目的にしたがってデータは解析される。

もちろんこれはすごい労作で、その集計だけでもエライ作業だったはずですが。
それにしても、データの扱いがぞんざい。だいたい、うんと簡単な表に集計される。 パーセントの計算くらいしかしてない。グラフにもしない。
検定もしない(たまにするけどほとんどt検定で、帰無仮説とかの表示がなかったりする)。
因子間の解析とかしない。

そこで、とりまとめる必要がでてきたんだと思われる。
400ページ近くある本をぼんって出されても、忙しい実務者の役には立たないもの。
そこにAmatoさんたちの存在意義があった。
こういうのを集めて、数ページのレビューに要約した。データを視覚化してわかりやすくもした。

そっかあ。なるほどね。

心理学者はそういうのを読んで、役立てたりするのかな? それはまた別なのかな?

さてしかしところで、調べたいところを調べて、それ以外のところを無視しているから、
目的意識がないところはわからないなこの方法だと。
また、新たな発見は、まずないだろうな。
データに語らせる Data Driven な分析っていう発想は、ないのだろう。

あと、この本を読んでいて、生データにはアクセスできないなとも思った。
この時代なら仕方ない部分はあるけど。
Amatoさんたち、どうしたのかな。
私が引き受けるときには、かなり生なデータを要求するんだけど、
そういう協力関係ってとってるのかなあ?
これも聞いてみよう。   すっかり嫌な質問者だ。

2014年5月28日水曜日

相関と因果関係

非監護親の面会が必ずしも子どもの利益にならない、について

Amatoさんは1993年にもこのラインの論文を書いています
そこで彼は、
度重なる面会交流が親の葛藤を増加させること
親の葛藤が高いほど子どものウェルビーイングが悪いこと
を指摘し、だから面会交流が必ずしも子どもの利益にならないと言っています。

この論理展開はBuchanan et al (1991)のそれと同じ。

これすごく初歩的なミスリードなんだけどな。

AとBが相関する
BとCが相関する
ゆえにAはCの原因になる

実際には、ならないことが多いんですよ。たぶんAとCは相関しなかったんだと思う。
してれば、そう言うはずだもんな。
たとえばBuchanan et al (1991)のデータは、相関してなかった。
だけど、「AはCの原因になる」という主張をしたかったから、この展開をしちゃった。
それがこの論文。
Amatoさん、質問のこの部分には答えてないけど、同じスネの傷なんじゃないか。

そもそも、相関と因果関係って、成立することもあるし、そうでないこともある。
20世紀後半にはいって、イギリスではコウノトリが減っている。
そして人口も減少している。これらには強い相関関係がある。
でもたぶん因果関係はないんじゃないかなあ。
「だから赤ん坊はコウノトリが運んでいるんだ」って主張したら、やっぱまずいでしょ。

wikipedia のこのへんに記事が。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%93%AC%E4%BC%BC%E7%9B%B8%E9%96%A2
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9B%B8%E9%96%A2%E9%96%A2%E4%BF%82%E3%81%A8%E5%9B%A0%E6%9E%9C%E9%96%A2%E4%BF%82

今度は返事がおそいなあ

いま何を訊いているかというと、質問というよりも意見なんだけど、
たぶん計算まちがってますよっていう。

Amatoさんの考えてたのはこんなかんじ。
これ、青いラインが普通の家庭で育った大人のウェルビーイング。緑が離婚家庭。

基本的にアメリカの白人の話なので、
離婚後も行き来はあって、面会交流はアリのケースが多い。

ほとんどのケースでは、たいした違いはないだろうというのがAmatoさんの主張。





一方、論文から再現したデータはこんなかんじ。
本当はもっとひどくて
(というか、下の方にもうひとつ山がある)、
それはかなり悲惨な状況である。
この横軸はいわゆるzスコアで、
たとえば-2だと偏差値で30くらい。

間違えてたんなら改めてほしい、協力もするし。
どこか私の誤解があるのかもしれない。
そうであってほしい。

2014年5月25日日曜日

もうひとつ質問しなきゃ。

早速のお返事をありがとうございます。Visitingについてのあなたのお考えは私を大いに安心させるものでした。そして、親同士の葛藤をいかにして小さくするかが社会的にも重要であると私も思います。

頻繁な面会が親の葛藤を高める危険性は、しかし、棚瀬先生は紹介していなかった概念でした。おそらく彼女は、まだ面会があまり普及していない日本にあって、この考えを紹介するのをためらったのだと思います。あなたの意見は彼女を安心させたとおもいます。ざんねんながら、しかし、彼女は先週、passed away してしまいました。彼女の夫は、面会交流を推進している弁護士ですので、彼にあなたの意見を託したいと思います。

もうひとつ質問をさせてください。レビューでも引用されていたあなたの1991年の論文についてです。あなたはこの論文で、それまでに発表されていたいくつものデータを集めて、それらを再解析しました。測定値を比較可能にするために、それぞれでノーマリゼーションをしています。それぞれ、コントロールグループの平均を引いて、グループ内の標準偏差で割ることで、いわゆるz標準化をおこなっています。このデータの取り扱いに、2つ質問があります。ひとつは哲学的なもの、もうひとつはテクニカルなものです。

あらゆる標準化には、測定間で共通する性質をもつ測定値を、測定間で同一にするというプロセスが含まれます。この論文では、それぞれのコントロールグループが、その共通する性質をもつと考えられています。離婚家庭をそれと比較するのが目的ですから、この取り扱いは妥当です。ところが、どちらの群もwithin groupのSDで割っているように書いてあります。もし離婚家庭のSDが大きくなる傾向がいつも見られるなら、これはつまり、群間で同一にしてよい性質ではありませんでした(割るのなら、コントロールグループで測定したSDで割るべきでした)。このノーマリゼーションによって、離婚家庭のスコアが不自然に圧縮されてしまったはずです。

もうひとつテクニカルな疑問です。
このFig1と2であなたはstem and leaf plotを使ったので、
私はデータを2桁の精度で再現することができました。
その再現データのnormal QQ plot をしてみたのが、
添付した図です。添えられた赤い線は、
ロバストに求めた線形近似です。
この切片はpopulationのmuを、
傾きはsigmaをそれぞれ推定する値になります。

切片はあなたの言うように、離婚家庭が低いスコアになっていました。問題はその傾きが異常に小さい(0.16)ことです。本来であれば、この値は1になっているはずです。前述のとおり、それでも小さい値です。だからこの傾きは、あまりにも小さいものです。

もしstem-leaf plotの作図上でなんらかのエラーがなく、これがeffect size の実際のデータを反映しているとしたら、これはクリティカルなエラーです。コントロール群の分布が示されていないので推定するしかないのですが、おそらく離婚群とコントロールの間にはzスコアで1の開きがあることになります。これは少しの差ではありません、破壊的と言っていい大きさです。

この点をいま一度、ご確認いただけますでしょうか? よろしくお願いいたします。

2014年5月24日土曜日

子育て:離婚の影響

さっきのシミュレーションは、イメージの話でしたが、実際はどうなのと。
生データが手に入らないんだけど(聞いてみますが)Amato and Keith 1991
論文から、できるだけ再現してみたのがこれ。

これは離婚家庭で育った大人のウェル・ビーイングのスコア。

そりゃ重なるかもしれないけど。
この差はすげえ大きいぞ、おい。

まず、変わんない連中はいない
メインの、わりと大きな違いがなかった人々は、
偏差値として13点下がっている。
ここの平均は偏差値で37点です。

そこからはみ出た人たちは、死屍累々といっていい。
この-5というあたりは、偏差値で0点。
そこから左は、まさかのマイナス点です。
 
偏差値でマイナス点って、とったことあります? 100点超えと同じくらい珍しいんだけど。  
 
どーゆーこと? ちょっとAmatoさんたちの作図か、
私の計算か、どっちかが間違ってるかも。
間違いであってほしい。

標準偏差についての補足

Amato先生への質問で、
SDが大きいだの偏りがでるだのといってた話の補足。

だいたい、電話越しの調査だと、
アンケート的な質問は1から4とか
5までで答えることになる。
1:当てはまらない
2:時々ある
3:よくある
4:いつもある

こうした答えを何問か集計したとして
(あるいは一問しかなかったとして)
母集団の様子をあんまり精密には測定できない。
で、この図みたいなことになる。
もし母集団が赤い線みたいな分布をしていたとして、
この調査でわかってくるのは黒い線のヒストグラム。

この場合、ぜんぜん平気な集団が7割、
けっこう影響をうけているのが3割ということでシミュレーションしてみた。
こっちの集団の平均は25点、標準偏差はどちらのグループも10点で計算している。

この条件で、平均点は10点下がっている(平気な連中の平均はかわってない)。
だけど標準偏差は、10点から17点に上がっている。それだけ、データがばらけるように
なってきているということ。

Amatoさんが、いつも離婚家庭のほうが標準偏差が大きいと言っているのは、
たぶんこの(目立たないけど確実にある)もうひとつの成分、
適応が悪いグループのせいだと思われる。

Amato先生からのお返事

こんにちはしゃけ父

以下に、あなたの質問に簡単に答えます。

1. 論文に使った分布図は、離婚家庭とそうでない家庭の子どもたちのスコアに、大きな重なりがあることを示すためだけに用意したものです。私の経験では、離婚家庭の子どものスコアの標準偏差は、そうでない子どものスコアよりも大きくなる傾向があります。離婚家庭の子どものスコアの分布は、より偏っています。これはあなたの指摘のとおり、ある特定の子供たちが強く影響を受け、別の子どもたちがあまり影響をうけないからです。

2.米国では、訪問(面会交流)は、より一般的になってきています。私は、これは一般的には、子供たちのために良いことだと思います。ほかの条件が同等なら、子どもが離婚後に父親との密接な関係を持っている方が、子どもの状態はより良いはずです。しかしこれを強く一般化するのは困難です。父親の接触がもたらす効果は、父と母との関係の質だけでなく、父の特性(よく適応しているか、子どもの世話や監督をどれだけうまくできるか)にも依るからです。

3.両親間に高い葛藤(または疎外や引き離し)があるケースでも、面会交流は良いアイデアです。米国では、多くの州で、子どもの引き渡しのためのプログラムが用意されています。片親は中立な場所へと子どもを預ける(第三者の監護のもとに)ことができます。もう片親はそこで子どもを受け取れます。このようにして、両親はお互いに会ったり、対峙しなくても済むようになっています。あるレベルの面会交流はいつも可能であるべきです、虐待やネグレクトの事例を除けば。

Paul



ちょっと解説

要は、
・面会交流はすべき(虐待とかがなければ)
・ただ効果は、高葛藤だと低くなる。葛藤をどう小さくできるかがポイント


離婚家庭の子どもたちは、そうでない家庭の子どもたちに比べて、ばらつきが大きい。
そしておそらく、ぜんぜんダメな別のグループが存在する。
まあまさに、Amato先生たちは、そうしたグループに焦点をあてて研究されてます。
残念ながら、あまり片親疎外には意識が向いてなさそうなんですが。

離婚によって家庭の機能が完全に崩壊することもあるわけで。

そうしたブループが、2つ目の山を形成する。
← こんなかんじで。

だから標準偏差は大きくなる(ばらつきが左右に大きくなる)し、
分布も歪む(ヒストグラムが左右非対称になる)。

ここで使用されたモデルよりも現実は、
もうちょっと複雑で過酷。

2014年5月20日火曜日

Amato先生への手紙(案)

一晩ねかしてから。もちろん英語で。長えなあ。


はじめまして、○○大学の○○と申します。いつもは○○学分野の情報を扱う仕事をしております。

日本では児童心理学や、家族の社会学について研究があまり盛んではありません。しかしこの分野での権威の棚瀬一代先生が、先生の1994年に書かれた論文を紹介されています。離婚後の子どもをどう取り扱うかについて、先生のレビューがテキストとして使われています。

私もこの論文を拝見いたしまして、アナリストとしていくつか気になった部分がありました。二十年以上むかしの論文についてで恐縮ですが、お答えいだだければ幸いです。また、もっと新しい研究結果がございましたら、ご教示いただければ幸甚です。

まずこの論文のFig1で、先生は離婚家庭と普通の家庭の子どものwell being の得点を考えるさいに、おなじSDをもちmeanが異なる正規分布を仮定しています(Fig. 1)。論文を通じてこの考え方が根底にあり、離婚の与える影響が限定的であるという暫定的な意見につながっています。

私はEDAを使うことが多い(データ分析に先立つモデルを持たず、データに語らせる方法です)ので、この仮定のことが気になるのです。結論の基盤になっているため、この仮定はかなりクリティカルであると思われます。

この論文を読んでから、メタ分析のもとになった論文をいくつか読んでみたのですが、たとえばBuchanan et al (1991) では、一次的なデータは電話ごしの4ないし5段階の質問になっています。この回答をいくつか合算したスコアを、オーサーはそれぞれの要因のスコアとして使っていました。

もしこの設問数がとても多いのなら、このスコアは連続値として扱えるでしょうし、正規分布に近い分布をすることが期待できるでしょう。しかしおそらく、このもとのデータはむしろ離散的だったはずです。

ここで問題がひとつ生じます。もし離婚家庭のウエルビーイングがユニモーダルでなかったら、ということです。それはたとえばバイモーダルかもしれない。しかし、設問に十分な解像度がないために、その違いがわかりにくいかもしれない。その場合、ふたつのピークが確認されるかわりに、分布がskewしたり、あるいはSDが拡大するでしょう。

私がこれを気にかける理由は、先生の論文にあるとおり、何人かの子どもが離婚によって特別に大きな打撃をうけるからです。それらが平均に与える効果は、全体としてみれば小さいかもしれない。しかしそれらは、むしろ特別なハイリスクグループとして考えるべき、アウトライアーかもしれない。

実際、もうひとつインターネットで手に入ったAmato and Keith (1991) Parental Divorce and Adult Well-Being: A Meta-Analysis をみると、well beingのeffect sizeの分布をみたstem and leaf plot (Fig. 1)を見る限り、これらはまさにこのbimodal な特性を持っているような、明らかなskewが見られます。



先生の1994年の論文で、調査の年によって結果が変わる理由として先生は検討すべき2つの事柄を紹介しました。ここに見落としはありませんか? つまり、年数が新しくなるほど、父親の面会交流が一般的になっていることです。

1994のレビューの際に、先生はparental alienation の影響を見ていません。しかしこれは一般的に予後が悪い現象であると知られています。もしこれに対応する子どもたちがそのアウトライアーを形成する一部なのだとしたら、これらに焦点をあてることが必要になってくるでしょう。

先生の論文でいささか衝撃的だったのは、high conflict の離婚の場合、非看護親との交流がむしろネガティヴになるという見解です。その根拠として先生はいくつかの論文をサイトしています。Buchanan et al (1991)はそのなかでこれまでに入手できた論文です。

この論文で、著者らはhigh conflictとcaught feelingに弱い相関があること、caught feeling と低いwell beingにも弱い相関があることを示しました(Table 7)。そこで、high conflictがwell beingに悪影響があるだろうと著者らは推定しています。しかしながら、おもしろいことに、実際のデータではこれらは全く相関がなく、むしろ証拠としては、high conflictがwell beingとは無関係であることを示しています

弱い相関は、相関がある一群と、ない一群が混合しているときにも生じます。high conflictがcaughtを起こした一群と、caughtがwell beingを下げた集団は、別だったと考えれば、これは説明できます。そしてもちろん、evidenceは意見よりも重要です。そこで、先生の1994年の、ある場合には面会がより悪影響を及ぼすという見解のevidenceの少なくとも一つは、不適当だと思われます。

おそらくこの(面会がいつもbenefitにはならない)のは、他にもevidenceがあるのでしょう。しかしながら、逆の考えもでているようです。どう考えたものか、先生のご意見をお聞かせ願えればとおもいます。



なお、現在の日本の法的な事情について、簡単にご説明いたします。いま日本ではシングルな監護権しか認められておりません。離婚そのものは簡単にできます。この10年の間、妻が虚偽DVを申し立てて子どもを連れ去るケースが急増し、社会問題になっています。逆に夫が子どもを連れ去るケースも増えています。いずれにしても、いま日本の家庭裁判所は、ほぼ例外なく、連れ去った親に自動的に監護権を与えます。面会交流はごく限られていて、認められないケースも多々あります。連れ去った親が仕事を持たないケースも多く、子どもともどもに貧困にさらされます。政府発表ではシングルマザーの半分が貧困にあるとされています。

連れ去られて引き離されたこどもたちがPAを起こすのは、日本でも同じです。連れ去った親たち一様にHigh conflictな状態で、決して、もう一人の親と子どもをあわせようとしません。その状況で、連れ去られたままにしておいたほうが良いのか、なんとか交流したほうがいいのかは、だから、日本においてはたいへん重要な問題なのです。

末筆ながら、先生の研究のご発展をお祈りいたします。

子育て:必ずしも面会交流が良いとは限らない に関して2

もっと新し目の論文で、まるっきさ逆の事が書いてあるやつがありました。

Bauserman, R. (2002).
“Child Adjustment in Joint Custody versus Sole Custody Arrangements:
A Meta-analytic Review,”
Journal of Family Psychology, 16, 91-102.

アメリカ心理学会のお墨付きですよ。これも読まねばだけど
訳してる時間とれるかなあ?

ただはっきりしてるのは、高葛藤にはいろんな種類があって、
これは子どもには優しい父である場合ですよ? 暴力父はとにかくダメだからね。
たまたまかな(?)そういうケースの話を見聞きする昨今なので、念のため。

2014年5月19日月曜日

子育て:必ずしも面会交流が良いとは限らない に関して1

わりとショッキングだったAmatoさんのあの見解ですが、いくつかの論文で支持されています。

とりあえずひとつ、今日よんでみました
(けっこう細かめに:だけど和訳はかんべん、じかんとれねー)。

Caught between Parents: Adolescents' Experience in Divorced Homes
Christy M. Buchanan, Eleanor E. Maccoby and Sanford M. Dornbusch
Child Development
Vol. 62, No. 5 (Oct., 1991), pp. 1008-1029

これはレビューじゃなくて、いわゆる研究論文です。社会学系の。
Amato 1994では、(74)として引用されている2本の論文のひとつ。

で、結論からいうと、これは違うなと思う。

この論文は、(青年期の子どもが)親の間に立たされていると感じるかどうかを、
電話インタビューした調査結果です。
それを「囚われた」Caught  と称している。
もちろんそれは望ましいことじゃない。
それとは別に、ウェル・ビーイングは
品行(タバコとかクスリとか学校とか)と抑うつとで測っている。

囚われ感と品行・抑うつの間には弱いけど有意な相関がある。
親の葛藤と囚われ感にもちょっと相関がある。
だから、親の葛藤と品行・抑うつは無関係ではないんじゃないかと、この論文は推察している。

ただエビデンスとしては、親間の葛藤とウェル・ビーイングには相関はぜんぜんない。
ついでに、どっちが面倒をみていても、共同監護していても、ウェル・ビーイングには相関しない。

たぶん、親が協力的で、かつ共同監護すれば、いい結果になるんだろうけど、
そこまではつっこんで調べていない。

弱い相関は、無関係なのと関係するのが混じっていると、出ます。
たぶんこれもそうで、囚われ感が品行・抑うつの原因になっている場合、
その囚われ感は親の葛藤とは無関係に起きているのでしょう。
Buchananらは、囚われ感を、もうちょっと場合分けして調査すべきだった。
なにより、エビデンスは推察よりも重いので、そこは落ち着いて考えなきゃだな。

親の仲が悪くて、両親と頻繁に会わなきゃいけないとしたら、
そりゃ「間に立たされてつらいなあ」と思うのが普通だろう。
こんなん、調べなくてもわかるだろ? アホかって(それを読んでた俺っていったい....)。

どうもAmatoさんは自分ちでも調べているみたいで、
証拠はこれだけじゃないんだろうとはおもいますが、
まずひとつ、これは間違いでした。

2014年5月18日日曜日

翻訳: 子どもの生涯を通じた、親の離婚への適応

子どもの生涯を通じた、親の離婚への適応
Paul R. Amato, Ph.D. 著 (ネブラスカ大学社会学科 助教授)
The Future of Children (1994) Volume 4, Number 1, pp.143-164 

要旨

ずっと両親が揃っている家庭の子どもたちに比べ、親の離婚を経験した子どもたちは、より多くの行動上の問題、複数の心理的不適応の症状、低学力、より多くの社会的な困難を持ち、自己概念が低い。同様に、両親が揃った家庭で育った大人と比べ、子供のときに親の離婚を経験した大人は、心理的・対人的・社会経済的なウェルビーイング(善いあり方を保つことで、健康で、周囲とも良好な関係を維持できている状態)を表す様々な指標で、より低い得点になる。

しかし、離婚した家庭とそうでない家庭の違いは、離婚にたいしての子どもの反応が大きく異なることを考えれば、小さいとも言える。子供が離婚にたいしてどう適応するかはいくつかの要因によって決まる:監護権を持たない親との接触の量と質、心理的適応と子育てスキル、離婚前後の両親の葛藤、子どもがさらされている経済的困難のレベル、離婚とその後におきるストレスフルな出来事の多さなど。これらの要因は、離婚家庭の子供のウェルビーイングを改善するために、様々な法的および治療的介入を評価するためのガイドとして使用できる。

イントロダクション

子どもたちは常に家族の破壊という脅威に直面している。以前は、親の死が家族を崩壊させた。米国では、20世紀になるころ、15歳になるまでに子供の約25%が親と死別していたが、離婚したのは7ないし8%である(1)。20世紀の間に寿命がのびたことにより、現在では死別は約5%になっている。しかし、この間に離婚率は増加し、現在、初婚の5分の2から3が離婚や別居で終了する(2)。夫婦の離婚率が高いため、子どもの約40%は16歳になるまでに離婚を経験する。家族が崩壊するリスクは常にあったが、今日では死亡よりも離婚が原因になっている(3)。

アメリカでは伝統的に、両親が揃っていることが、子どもにうまく社会性をもたせ発育させることの必要条件だと信じられてきた。そこで、親との死別により子どもが後に非行、うつ病、さらには自殺することにつながると考えられていた。それは初期の研究で実際にも確認されている(4)。最近の研究では、親の死が子供たちに不利であることを示しているものの、長期にわたる影響はかつて信じられていたほど大きくないことがわかった(5)。そうは言うものの、多くの社会科学者は、離婚によって親を「失う」ことは、死別して親を失うことと同様な重大な問題だと考えていた。さらに、親の死は通常、意図せず、避けられないのに対し、結婚の解消は片方の親が自由に選択するものだ。そのため、子供への離婚の影響の問題は、道徳的なニュアンスを含んでいる。これらの懸念は、ここ数十年の間の離婚率の劇的な増加と相まって、子供に与える離婚の影響に関する研究の急増につながった。

この論文は、必ずしも確固とした結論に至っていない。われわれの知識には多くの穴がある。研究の方法論も強力ではない。多くの調査結果はまだ暫定的な段階である。それにもかかわらず、子どもへの離婚の影響について、社会科学者のあいだでひとつのコンセンサスが醸成されてきている。そして、まだ限界はあるにせよ、得られた知識は、離婚に際した子供たちのウェルビーイングを改善するための政策決定に、有用である。

研究者はどのように子どもと離婚を調べている?

離婚が子供たちにどのように影響するかを調査するために、社会科学者たちは主にふたつの研究デザインを用いている:横断的研究と縦断的研究だ(6)。横断的研究(7)では、ある特定の時点で、離婚家庭の子と、継続的に両親がそろっている子とを比較する。縦断的研究では、研究者は別居後の長期間にわたって子どもたちを観察していく(8)。

縦断的研究は通常、両親が揃っている家族の子どもの比較群が含まれる。どちらのタイプの研究デザインにも方法論的な長所と短所があるが、いずれも適応にかんして有用な情報を与えてくれる(6, 8, 9)。横断的研究は、離婚家庭の子どもたちがどう違うのかを、ある時点での「スナップショット」で見せてくれるが、縦断的研究は子どもたちがどうやって時間をかけて適応していくのかを調べられる。
子どもたちの研究に加えて、社会科学者は、ずっと両親がいる家庭で育った大人たちと、子どものころに離婚を経験した大人たちとを比較することによって、離婚の長期的な影響を研究している。研究者はまた、小数ながら、離婚家庭の子どもを成人期初期まで追った縦断的研究も行っている(10)。

文献に現れてくるサンプルには次の3種類がある(11)。治療やカウンセリングを受けている子どもや大人の臨床サンプル。臨床サンプルは、離婚にうまく適応できなかった例を調べるには向いているが、この結果を一般化することはできない(治療が不要なケースが多いからだ)。また研究者たちは、(片親家庭の支援団体など)のコミュニティ等を介して、子どもや大人の「手軽な」サンプルを得る。こうしたサンプルは入手が比較的容易かつ安価であるが、これらのグループの人々は、いろんな未知の理由で、典型的ではないかもしれない。研究者らは、特定の集団のなかから、科学的な方法に則って、子どもや成人の無作為抽出サンプルを得られることもある(12)。これらのサンプルは、学校、裁判所の記録や、特定の地域を対象にして得ることができる。無作為抽出サンプルからは、離婚を経験する子どもたちが全体としてどういう傾向を持つのかについて、有効な一般化を行うことができる(13)。しかし残念ながら、これらのタイプのサンプルは最も得難く、また費用もかさむ。

研究者たちは、離婚への適応に関連すると思われる要因に、二つのサンプル(離婚家庭と、ふつうの家庭の子どもや大人のサンプル)を重ねてみる(または統計的に、バックグラウンドを揃えて、解析する)(14)。例えば、社会経済的な地位が低いと、親は離婚しやすく、また子どもも行動や学業成績の問題を起こしやすい。そこで、比較するにあたって、両グループで親の社会経済的な背景が同等であることを確認する必要がある。

そして研究者は、子どもや大人の機能、またはウェルビーイングを反映する指標を選ぶ。よく使われる指標は、子供では:学力・品行・心理的適応・自己概念・社会的適応・親との関係の質などである。大人のための一般的な指標は:心理的適応・品行・メンタルヘルスサービスの利用・自己概念・社会的ウェルビーイング・結婚の質・別居や離婚・一人親であること・社会経済的な到達度・身体の健康状態などである。

社会科学者は、片方または両方の親にインタビューし、子供の教師に質問し、また子どもに試験をするか子供の行動を観察し、それらを総合することによって、子どもたちについての情報を収集する。通常、大人たちの情報はインタビューで得る。それらの結果はふつう、離婚家庭とそうでない家庭とで比較する。観察された指標のグループ間差は、統計的な基準に照らして、その差がただ観察上の偶然からおきたものかどうかを検定される。偶然で説明するには大きすぎる差が観察された要因は、離婚によって起こされたか、少なくとも離婚に関係しているものと判断される。

残念なことに、これらの研究は互いに関連するので、観察されたグループ間差の原因が離婚によるものかどうかを確実に知るのは困難である。どんなときも、グループが研究者が予測・測定・調節できないようなところで違っている可能性は残る。例えば、まだわかっていない特定の親の人格特性が、離婚と子どもの不適応の両方のリスクを高めている可能性はある。因果関係についての確固たる結論を得るためには、本来は実験を必要とする;しかし、離婚した・していない家庭にランダムに子どもを割り当てて派遣するようなことは不可能だ。そこで、離婚の原因の影響について我々が信じていることは、本質的に暫定的なものにならざるを得ない。

離婚家庭の子どもは他の子どもとどう異なるか?

このテーマの研究結果を詳細に分析するのはいかさか厄介である;報告ごとに結果がかなり異なるからだ。多くの研究は、離婚家庭の子どもたちは、両親がそろっている家族の子どもよりもより多くの問題を抱えると報告している(15)。しかしこの両者には差がないという報告もあり(16)、少数だがいくつかの面ではむしろ離婚家庭の方が良い傾向があるという報告さえある(17)。この食い違いは、それら研究が以下の点で異なることに起因する:サンプリングのやりかた、どの指標を調べるか、調査方法、分析方法。

最近になって、こうした事態に対処する、メタ分析として知られている方法が開発された(18)。メタ分析では、個々の研究の結果は、離婚家庭とそうでない家庭の「効果の大きさ」へとまとめられて表される。この効果の大きさは、測定間で共通の単位をもつので、ある特定の項目に有意差があるかどうかを、すべての研究をまたがって調べることができる。さらに、サンプルの性質のような調査のデザインの特徴がどのように結論に影響するかも調べることが可能である(19)。

AmatoとKeithは、幼稚園から大学までの13,000人以上の子どもを調べた92の研究の結果を集め、この方法で再解析した(20)。このメタアナリシスでは、離婚家庭の子どもたちは、平均して、より多くの問題があり、ウェルビーイングのレベルが低いことを確認した(21)。これらの問題は、低学力、より多くの行動上の問題、低い心理的な適応、悪い自己概念、より多くの社会的な困難、そして母親とも父親とも関係の問題が生じる(22)。

離婚家庭の子どもたちが大人に成長したときに、適応に違いがあるかどうかを調べるために、Amato とKeithは、アダルトチルドレンを調査した37の研究について第二のメタアナリシスを行った(23)。その結果、80,000人のデータから、親の離婚が人生の進路に有害であることを示唆している(24)。両親がそろった家庭で育ったものと比較して、親の離婚を経験した大人は、心理的なウェルビーイングが低く、より多くの行動上の問題、低い教育程度、​​低い職業ステータス、低い生活水準・結婚満足度で、離婚リスクが高く、片親になるリスクが増大し、そして身体の健康状態がより悪い(25)。

子供が離婚に容易に適応し、問題が長引かないという見解は、こうして累積した研究結果とは明らかに相いれない。しかしこの結論の深刻さは、効果の大きさを考えるといくぶん和らぐ。まず、このふたつのグループ間差は大きくはない。この事実は、小児期に起こり得る他のストレス源ほどには離婚は大きなストレスではないことを示唆している。例えば、子供のころの性的虐待を扱った研究の最近のメタ分析では、平均的に離婚より3〜4倍大きい影響があった(26)。また、通常の家庭と離婚家庭の2つのグループの子どもたちは、かなり大きな重なりをもって分布している。

これらの点を例示するために、典型的な実験の結果の概念図を図1に示す。この図は、離婚家庭と非離婚家族の子供たちの、ウェルビーイングを測定したスコアの分布を示している。曲線の高さは、観測された頻度を表す。図の左側の低いスコアは悪い成績を、右側の高いスコアは良好な成績を表す。

それぞれのグループの平均は、曲線が最も高くなっているあたりにある。離婚家庭のグループの平均スコアは、そうでないグループの平均点よりも低いことに注意されたい。同時に、離婚したグループ内の子どもたちのかなりの部分は、そうでないグループの平均よりも高得点だった。同様に、離婚していない家庭の子供達のある部分は、むしろ離婚家庭の子どもたちの平均よりも低いスコアになる。この重複は、両群の子供たちの成績の多様性を反映している。図は子供について説明しているが、同様な状態が、離婚家庭で大人になった場合でも観察される。

子どもの反応の多様性は、離婚の効果は平均ではさほど大きくないことを理解するのに役立つ。ある子どもには、離婚は深刻なストレス源になり、ウェルビーイングの大幅な減損と衰退をもたらす。しかし他の子どもたちには、離婚はさほど重要ではないかもしれない;離婚によって改善を示すことさえあるかもしれない。言い換えれば、ただ離婚の影響を調べるのは、すべての子供が同様に影響を受けるかのような、間違った質問である。より妥当な質問は次のようなものだ;「どのような条件下で、離婚は子どもに有害になり有益になるか?」この点を、引き続いて以下で論じていく。


研究者たちは、離婚した家族とそうでない家族を比較する際に、性別、民族、年齢、そのほかの要因でグループ分けをして、何が離婚の影響の大きさを変える原因になるのかを調べた(後ろ向きコホート研究)。これらの条件が適応にあたえる影響は以下のようであった。

子どもの性別による違い

初期の、その後に影響を与えたいくつかの研究が、男の子が女の子よりも多くの適応の問題を起こしたことを発見した(15)。これらの研究は多く引用されたため、この知見は明白なものとして広く受け入れられた。男の子が、通常は離婚後に母親と一緒に暮らすことを考えると、この違いの原因は、同性の親との接触の損失から説明できる。また、男の子は、女の子に比べて、より多くの葛藤にさらされ、また親や他人からのサポートが受けられない可能性がある、(彼らはタフであると考えられているため)。そして(彼らは父に似ているので)、より監護している母親からつらくあたられる可能性がある。他の研究者は、男の子は、離婚やそのほかのストレス要因にたいして、女の子よりももともと精神的に脆弱である可能性を示唆している(27)。
しかし、後の多くの研究は、離婚への子どもたちの反応に有意な男女差を見いだせなかった(17, 28)。さらにいくつかの研究では、女子が男子よりも多くの問題を抱えていることを発見した(29)。

AmatoとKeithは、男性と女性の違いを報告した全ての研究データを使うメタ分析で、この問題を明らかにすることを試みた(20, 23)。その文献では、子供たちに、一つ大きな性差があることを述べている:社会的な適応では、離婚は男の子により強いマイナスの効果がある。社会的適応は人気、孤独、そして協調性の測定を含む。そのほか学力、行動、あるいは心理的な適応は、しかしながら、明らかな男女差はなかった。なぜ、特に社会的適応の差が発生したかは、不明である。女子は男子よりも社会的に熟練するために、離婚の破壊的な影響を受けにくくするのかもしれない。このこととは別に、離婚家庭の少年たちの増加した攻撃性は、少なくとも短期的には、彼らの社会的な関係に問題を生じさせる(30)。それにもかかわらず、メタ分析では、男子がいつも女子よりも離婚の有害な影響を被るわけではないことを示唆している。大人を対象にしたメタアナリシスでも、1つの例外を除いて、性差はあまりはっきりしなかった:離婚家族から育った男性と女性の両方が、両親のそろった家庭よりも低い教育水準しか与えられていないが、この差は、男性よりも女性のほうが大きい。女性のほうが離婚の影響が大きい理由は不明である。一つの可能​​性は、親権を持たない父親が高等教育の資金を提供する可能性が、息子よりも娘のほうが低いということではないか。

子どもの民族性による違い

白人でない離婚家庭の子どもの調査が不十分である。こうした人々のデータが少ないために、たとえばAmatoとKeithは民族的な違いについて何の結論も導けなかった(20)。白人でない子どもに関しての情報がないのは、本論文の重大な欠点である。アフリカ系アメリカ人の子供に関しての研究によると、黒人の離婚家庭の子どもの教育水準は、白人場合ほど明確には低下しないことを示唆している(32)。

大人に関しては、AmatoとKeithはアフリカ系アメリカ人が白人よりも、親の離婚によって影響を受けにくいことを示している。例えば、離婚家庭がかかえる社会経済的達成度の低下は、アフリカ系アメリカ人よりも白人の方が大きい。この違いは、離婚が白人の間でよりもアフリカ系アメリカ人の間で、より一般的で、そしておそらくもっと受け入れられているという事実と関係するのだろう。

アフリカ系アメリカ人の間ではより広い血縁関係が保たれている傾向があるため、シングルマザーは白人の場合よりも、それら大家族からより手厚い保護をうけることができる(33)。あるいは、もともと黒人が社会進出をする際にはさまざまなバリアがあるので、離婚による困難さが加わったところで大勢にあまり影響しないのかもしれない。

アフリカ系アメリカ人、アジア系アメリカ人、ヒスパニック、ネイティブのアメリカ人を含む様々な人種や民族について、離婚に関するさらなる研究が必要である。離婚後の子どもたちの適応に加えて、子どもと監護親・非監護親との関係、サポートを提供する大家族の役割、そして、どのように文化が離婚の衝撃から子どもを保護していけるのかについての情報が求められる。

子どもの年齢による違い

離婚の影響が、子どもの年齢でどう変わるかについてのベストな説明がなされたのは、子どもと親への詳細なインタビューを実施したWallerstein と Kelly(34)の研究だろう。離婚後にうまく適応できないでいた親たちについてやや過剰な表現をしていたものの、彼らの結論の多くはその後の研究で支持されている。親の別居後の最初の1年の子どもたちの観察では、就学前の年齢の子供は、離婚の意味を理解するだけの、認知の洗練さを欠くことが示された。その結果、彼らは大きな混乱を抱えつつ、片親から離れることになる。彼らは何が起こっているか理解していないので、多くの子どもが恐怖にとらわれる。例えば、子供はこう考えたりする。「片方の親がいなくなった。では、もう一方もいなくなったりしないか?」幼い子どもたちは自己中心的で、世界の中心は自分自身であると考える傾向がある。この傾向が、両親の離婚の原因は自分であると、自分を責めるように仕向けてしまう。例えば、子どもたちはこう考えるかもしれない;「パパが出て行ったのは私が悪かったせいだ」。行動の初期段階への回帰(赤ちゃん返り)も、とても幼い子供たちの間で共通する。

小学校時代の子供たちは、より認知が成熟していて、より正確に離婚の意味がわかる。しかし、離婚がどういうものかを理解することは、それまでの家族を失うという深い悲しみを伴う。悲しみや抑うつの感情は彼らに共通している。一部の子供たちは、離婚を個人的な拒絶であるととらえる。しかし自己中心性は年齢とともに減少するので、多くの場合、彼らは非難の矛先を自分ではなく別のところに持っていくことができる――たいてい、どちらかの親に。そのため、この年齢層の子どもは、片方・または時には両方の親に向かって大きな怒りを感じるだろう。

青年の指向は家族よりも友人にあるので、家族への依存はより小さい。このため、彼らは離婚の影響をより直接には受けにくい。しかし、青年はまだ片方ないし両方の親にかなり怒りを感じることがある。また、青年は自分自身の恋人との親密な関係を懸念する。両親の離婚は、パートナーとの長期的な関係を維持するための自分の能力への疑心を招くだろう。

Wallerstein とKellyの研究は、反応の性質は異なるが、すべての年齢で子供たちは、離婚の影響を受けることを示している。しかし、これらの反応は、あるグループでより大きい問題になっていないか?Wallerstein とKellyによると、就学前の子供たちが、親の別居後にもっとも悩んでいた。しかし、10年後には、就学前の年齢の子供たちは、より年上の子供よりも良く適応しているように見えた(35)。

他の多くの研究では、子どもの問題が離婚に関連しているかどうかを確認するために、離婚時の子どもの年齢を調べた。しかし、これらの研究は、多くの場合、矛盾して一貫性のない結果しか得られていない。子供20人と大人23人のデータのメタ分析は、これらの問題に解を見つけられなかった(36)。多くのデータセット内の一般的な問題は、離婚時の年齢と離婚してからの年数がばらばらなことだ。つまり、同じ年齢の子どものグループでも、より幼いころに離婚していれば、より長い時間が離婚後に経過していることになる。しかし、もし同時期に離婚した家庭を調べるなら、その調査の時点で、より長い経過時間があるグループの子どもたちの年齢は高くなる。同様に、離婚時の子どもの年齢を一定に揃えることができれば、経過時間と現在の年齢を、完全に相関させられる。換言すれば、離婚時の年齢、離婚後の経過時間、および現在の年齢で、年齢の影響を見分けることは困難である。これを考えると、研究結果がはっきりしないことは驚くにあたらない。いずれにしても、離婚はすべての年齢の子供に悪影響を与えることは確かだ。

調査を行った年による違い

Amato とKeith(20, 23)によるメタ分析で一つ注目すべき発見は、研究が実施された年による影響である。彼らは、より古い時点での研究が、研究は最近になって行われた研究よりも、離婚家庭とそうでない家庭の子どもたちの間に大きな違いが現れていること発見した。この傾向は、(学業成績と品行についての)子どもの調査と(心理的適応、別居と離婚、物質的な生活水準、職業の水準にかんする)成人の調査から見つけられた(23, 37)。この傾向は、最近の研究がより洗練された調査方法をつかっていることを考慮しても、なお解消しなかった。

この知見は、より最近の子どもたちの集団は、以前の集団よりも離婚の影響をうけにくいことを示唆している。これにたいして、検討すべき2種類の説明がある。1.離婚はより一般的になっているので、離婚はより受け入れられるようになっていて、子どもたちはおそらく、不名誉に感じにくくなっている。同様に、離婚が増えて、子供たちが同じような境遇の他の人からの支持を得やすくなっている。2.以前は結婚の解消には法的にも社会的にもより強い障壁があったため、数十年前に離婚したカップルは、おそらくより深刻な問題を抱えていただろうし、現在のカップルよりもより深刻な葛藤を経験したことだろう。当時の離婚は、無過失離婚を導入する以前より、おそらくもっと辛辣な出来事だった。このように、過去に離婚した子どもたちは、より多くの機能不全な家族環境と、より高い葛藤にさらされていた可能性がある。

なぜ離婚で子供のウェルビーイングが低下するのか?

入手できた限りの研究結果は、明らかに、親の離婚が子供のウェルビーイングに悪く影響することを示している。しかし、この相関のメカニズムはやっと理解され始めたところだ。ほとんどの報告で、非監護親の不在、監護親の適応、親間の葛藤、経済的な困難、そして生活上のストレスを理由として挙げている。離婚が特定の子どもに、より不利にのしかかることは、これらの要因の違いによって説明できる。

親の不在

この見解によると、離婚は非監護親と過ごす時間、手助け、愛情の損失をもたらすことを通じて、悪影響を与えるとされる。母親と父親の両方とも、子供たちに潜在的に重要なリソースであろう。どちらも、実際的な支援、精神的サポート、保護、指導、監督ができる。離婚は通常、片親――普通は父――を子どもの家から引き離す。しばしば、時間が経つにつれて、子供と非監護親との接触の量と質は減少する。これによって、両親がいる家庭の子供と比較したとき、子供の適応レベルを低くしていると考えられる(38)。

この親の不在による説明は、複数の研究結果から支持されている。例えば、いくつかの研究では、親と死別をした子どもたちは、離婚で親を「失った」子どもたちと似た問題を示していた(39)。これらの知見は、どんな理由であれ親がいないことが問題であるという考えと一致する。また、この親の不在の観点と一致する研究結果として、失われた親の役割の一部を肩代わりする別の大人(例えば祖父母やその他の親戚)がいる子供たちのほうが、代わりがいない子どもたちよりも問題が少ないというものがある(49)。さらに、これは非監護親との交流と子どもの適応の関係(41)と重なるが、多くの研究結果は両方の親との緊密な関係は、離婚後の適応を良くすることを示している。頻繁な面会にもかかわらず子どもの適応がわるい一例は、高葛藤な離婚である。両親の葛藤が特に高い場合、非看護親との頻繁な接触は、効果よりも害を及ぼすことがある(42)。

監護親の適応と子育てスキル

この見かたによると、離婚は、監護親の心理的な健康状態と、親の能力を妨害する程度によって、子どもたちに悪影響を及ぼす。離婚後、監護親は、多くの場合、うつ病や不安の症状を示す。親のウェルビーイングが下がれば、単独での子育て行動も損なわれやすいだろう。Hetheringtonらは、別居後の最初の年を通じて、監護親が子供に愛情も成長させようという気概もあまり持たず、監督せず、より懲罰的で、一貫した規律を示さなかった(43)。

研究結果は、この見方を明確に支持している。ほとんどすべての研究は、監護親の精神状態が良く(44)、良好な子育てのスキルがあるときには、子どもたちはより良い適応を示すことを明らかにしている。特に、監護親が優しく、適切な監督をし、適切なコントロール、ルールへの説明を提供し、厳しい規律を避け、罰の与え方が一貫しているとき、子どもは向上する。また、親の適応からの見かたと一致して、監護親が手厚い社会的支援を受けているとき、子供の問題がより少ないことを示す結果がある(46)。

親間の葛藤

子供への離婚の影響についての三番目の説明として、親間の葛藤に焦点を当てる。際立って高いレベルの不和がある家は、子どもの社会化と発育のために問題な環境だ。あからさまな対立を目撃することは子供にとって直接的なストレス源である。さらに、熱く議論したり、物理的な暴力に訴えるのは、闘うことが考えの違いを克服するための適切な手段であることを、間接的に子どもに教えることになる。このように、高葛藤の家の子供たちは、意見が一致しないときにとれる別の方法を学ぶ機会を失う。それはたとえば、協議するとか、妥協するとか。こうした社会的スキルの獲得に失敗すると、友情を育み維持する子どもの能力を妨げるだろう。当然のことながら、多くの研究は、高葛藤な両親と暮らす子どもたちが、様々な問題のリスクを持つことを示している(47)。そこで、離婚家庭の子どもたちの間で観察された問題の多くは、実際に離婚する以前の良心の葛藤から始まっているものと考えられる。

研究では、高葛藤な両親が揃っている家は、離婚した片親の家よりも、状況がより悪いことを示している(48)。実際、嫌悪感と機能不全の家庭から抜け出すかたちの離婚をした場合、片親の家の子どものウェルビーイングは改善することがある。さらに、Cherlinらによる研究は、多くの(しかし全てではない)離婚家庭では、行動上の問題や学校の試験の成績が低いといった問題が、特に男子の場合、離婚の前から始まっていることを示している(49)。これは、子どものウェルビーイングが低い原因が、少なくともその一部は親の(離婚前からの)葛藤にあることと一致している。また、葛藤は別居の時期に増加し、そして両親は多くの場合、離婚が確定したあとでもずっと争い続ける。実際、多くの研究は、子どもの適応は、離婚後の両親間の葛藤レベルに関係することを示している(50, 51)。離婚後の適応もまた、婚姻中に発生した葛藤の残留効果によって影響され得ることに留意されたい。(このトピックの詳細な説明については、このジャーナルのJohnston の記事を参照されたい)。

経済的な困窮

離婚は、一般的に、ほとんどの監護母親と子どもの生活水準を、著しく低下させる(52)。経済的な困窮は精神的・行動的な子どもの問題のリスクを増大させ(53)、栄養状況と健康上の問題に悪影響をあたえる(54)。経済的な困窮はまた、子どもに本や教材、コンピュータ、その他の子どもの学術的な興味を惹くものを買い与える余裕を奪う。さらに、経済的に追い詰められた親は多くの場合、学校の予算がなく、犯罪率が高く、公共サービスが適切でないような地域に引っ越す(55)。こうした環境での暮らしは、青年たちを非行的なサブカルチャーへ誘いやすい。この見かたによると、離婚は、経済的困難に陥ることで、子どもに悪影響をおよぼす。

研究結果は、子どもたちの成果――特に学校での子どもたちの成績――が、離婚後の世帯収入のレベルに関係することを示している。例えばGuidubaldiらは、離婚した家族の子供たちは、両親がいる子どもたちよりも、34人中の27人で、有意に低い成績をとった。ところが、収入を加味した場合、有意差があった子どもの数は13人にまで減少した(56)。

同様にMcLanahanは、ひとり親世帯の所得と、高校の卒業率は、ほかの白人学生のだいたい半分になることを発見した(57)。しかし、ほとんどの研究では、家族の収入を揃えてみた比較においても、離婚家庭の子どもたちの問題のリスクはより高いことを示している。これは、経済的な不利は、重要であるものの、離婚の影響の原因を全て説明するものではないことを示している。

生活上のストレス

上記の各要因----非看護親との接触の喪失、監護親からの世話の低下、親間の葛藤、生活水準の低下---は、子どものストレス源である。また、離婚は多くの場合、引っ越し、転校、親の再婚などの、これらとは別の潜在的なストレス源のきっかけになる。そしてもちろん、親の再婚は、離婚を繰り返す可能性をもたらす。何回か離婚が繰り返すと、子どもをまた葛藤と、親業の低下、経済的な困窮にさらすことになる(58)。離婚家庭の子どもたちの一部では、子ども時代を通じて、ストレスが積み重なっていく。

研究結果は一般的に、離婚後の子供の適応をストレスを原因に解釈することを支持している。離婚そのものに加え、たくさんのその他の変化が生じることは、子どもに悪影響をおよぼす(59)。さらに、親の再婚はしばしば、離婚家庭の子どもの問題をさらに悪化させる(17, 60)、再離婚の場合もそうだ(61)。


離婚が子供に与える影響の概要

ここに挙げた5つの要因は、それぞれに意味があるもので、子どもへの離婚の影響を理解するためには、それぞれの見かたで検討する必要がある。これらの5つの要因はケースごとに違うから、離婚の影響は子ども一人ひとりでかなり異なる。こんなケースを考えてみよう。子供は父親との接触を失った。監護母親は別のことに気を取られていて子どもに不注意になっている。親が子供の養育費やその他の問題で争っている。家庭は突然、貧困に陥った。避けようのない様々な変化に巻き込まれている。このような状況下では、離婚が子どもにかなりの悪影響を与えることは想像に難くない。これとは対照的なケースはどうだろう。子どもは定期的に、非監護親である父と会い、監護母親は子どもを支え続け、適切な規律を保つ。親は葛藤なく協力し、子どもの生活水準はあまり低下せず、離婚後の子どもの生活に大きな変化がなかった。このような状況下なら、離婚の悪影響は小さいだろう。最後に、離婚で終わる高葛藤な結婚を考えてみよう。葛藤のレベルが低くなれば、遠のいていた父親は子供に近くなり、落ち込んでストレス下にあった母親は暖かく、よりきめ細やかになる。大きな経済的な問題や破壊的な変化がないだろうので、この離婚はおそらく子供にプラスの影響を与えるだろう。全体的に、離婚が子供にどのように影響するかを理解するには、離婚が子どもたちの生活中の資源やストレッサーをどのように変えるかを評価する必要がある(62)。離婚家庭の子どもたちのウェルビーイングの向上を目的とした政策案を評価するときに、上記の5つの要因は考慮されるべきだ。

どんな介入が、離婚家庭の子どもの恩恵になるか?

離婚家庭の子どもたちのウェルビーイングの研究結果は、どんな政策や介入が、子どもに問題がおきるリスクを減らせるかということにつながる。よく議論される介入方法には、離婚の発生率を低くすること、共同親権、養育費の改革、シングルマザーの自活力を高めること、子供と親のための治療プログラムが含まれる。この論文では、これまでの研究結果に照らして、望ましい介入方法を提案する。

離婚の発生率を下げる政策について

司法判断で離婚理由を拡大し続けた結果、20世紀の間に米国では、離婚はとても簡単な選択肢になった。1970年にカリフォルニア州で、無過失離婚が導入された;現在、それは、50の全ての州で導入されている(63)。ほとんどの無過失離婚で、一方のパートナーが望めば、他方に結婚の契約に違反することは何もなくとも、また結婚を継続する意思があっても、離婚はただちに成立する。この事実は、興味深い問題を提起する;もし離婚を法的にもう少し制限して、離婚の発生率が下がったなら、子どものウェルビーイングは改善するだろうか?

この可能性は低そうだ。まず、過去には離婚はあまり頻繁に発生しなかったが、非公式な別居や遺棄は、特に少数民族や社会経済的地位​​の低い人々の中で、珍しいことではなかった(64)。子どもの視点からは、別居は離婚と変わらない。法制度が離婚をより困難にすれば子どもは、離婚していないが別居している家庭で暮らすことになるだろう。また、高葛藤な家庭で子供時代を過ごす人々の割合が増えるだろう。すでに述べたように、高葛藤な両親のいる家庭の子どもは、離婚独身親家庭と同じか、より多くの問題を抱える。法制度が、カップルが別居したり闘ったりすることを止められないことを考えれば、離婚頻度を減少させるよう法制度を変えても、子供のウェルビーイングを改善することはできないだろう。

結婚の幸福と安定性を増加させることによって、離婚の頻度を減らすことは可能だろうか? 政府は、これのために方策をとることができる;たとえば結婚している両親が得をするように税制を変えることで。このような政策は、特定のケースでは結婚の質と安定性を向上させられるだろう。しかし、結婚ている夫婦の家族にこうした利益導入をすると、ひとり親とその子どもの相対的な不利益を増加させるであろう。代わりに、政府は、結婚の準備、向上、およびカウンセリングを促進する措置をとることができる。そのようなサービスの利便性を高めれば、いくつかの結婚を離婚で終わらせないことに役立つだろう。しかしながら、Furstenberg とCherlinが示唆するように、離婚率の上昇はアメリカの社会の基本的な変化、すなわち個人の価値観の重視と女性の経済的自立によるものだから、政府の政策によって簡単に変わるものではないだろう(65)。おそらくこのような政策を通じても、ごく限られた効果しかないだろう。

実務的共同監護の選択を増やす

米国での監護権の決定は、歴史的に、主に社会的な影響を受けて、時間の経過とともに変化している。18世紀には、監護権はふつう父親に与えられた。彼らが家長だと考えられていたし、子どもの世話をするための経済的な基盤をもっていたからだ。19世紀には、監護権は女性に移った。この移行の理由はおそらく、少なくとも部分的には、産業革命の結果、生活費を稼ぐために父親が家から職場に出るようになったためだと考えられる。この状況で女性は、男性が仕事に行っている間、主たる養育者として子どもの世話をする必要があった。この状況下で、児童発達の理論家も母と子の関係の重要性に着目し、子供が母親の親権下にいるほうが良いのではないかと(根拠なく)考えていた。ところが最近では、共働き家庭が普通になり、子の養育に両親がかかわる重要性が強調されてきた。こうした変更は、両親との関係を維持することの重要性を強調する現在の法律に反映されている(66)。事実として、現在は多くの州で選択できるようになった、実質のともなう共同監護(実務的共同監護)を選ぶ親が増えている(59)。実務的共同監護は、両方の親が法的な権利と義務を有し、両親ともに子供とかなりの時間を過ごせるように意図している。より一般的な、法的共同監護は、両親への法律上の権利と責任を与えるが、子供はどちらか一方の親とだけ住んでいる(66)。

法的共同監護は、子供たちの人生に両親が関与できるという範囲で利点がある。しかし、研究によると、親の収入、教育、離婚前の親の状況を揃えた上で比較した場合、法的共同監護と母親の単独監護は、父親が払う生活費・面会・子どもの重要な決定事項への関与において、実質的に変わらなかった(66, 67)。法的な共同監護には、両親が重要であるという象徴的な意味があるが、実際にはほとんど役に立っていない。

これとは対照的に、実務的共同監護は、より多い父親との接触、関与、および養育費の支払いに結びついている(68)。父親も、母親の単独監護よりも、実務的共同監護のほうがより満足するようだ。例えば、Shrierらは1991年に2つの地区での調査で、父親が養育費や経済的なサポートをするにあたって、母親の単独監護の場合よりも実務的共同監護のほうが有意により満足していることを示した。実務的共同監護がより両親に会いやすくするのなら、子どもにとっても有益であるだろう。一方、住居が不安定になることは、ある子供たちにはストレスになりえる。まだ多くの研究結果が出ていないが、いくつかは実務的共同監護がより子どもの適応につながっていると報告し(70)、別の結果は差がないと報告している(71)。

しかしながら、これらの結果は、あまりにも楽観的なイメージを与えるかもしれない。裁判所は共同監護を望むカップルには、共同監護を付与する可能性が高い。カリフォルニア州におけるMaccoby とMnookinによる大規模な調査では、実務的共同監護を選択するカップルは、単一親の監護を選択するカップルよりも、高い教育を受け、高所得であることがわかった;さらに、比較的に敵対性が低く、父親は離婚以前から子どもによく関わっていた(66, 72)。これらの知見は、実務的共同監護が本当に効果的なのかどうかを試験する際に、擬陽性を与える可能性を示している。これらのカップルは最初から立ち位置が違うのかもしれない。

自分たちのの意思に反して実質の伴う共同監護が両親に課された場合、うまく機能するとは考えにくい。これらの条件下で、共同監護は父親と子供たちをより多く接触させるだろうが、両親間の葛藤は増えるだろう(73)。監護上の対立は比較的に珍しいが、Maccoby とMnookinは、こうした監護権の紛争を解決するために使用されていることを報告している。彼らの研究では、母親と父親がそれぞれ単独親権を求めて争ったケースの約3分の1に、共同親権が授与された。さらに、保護者の間の葛藤がより高いほど、より共同親権が付与される可能性が高かった。離婚後に三年半が経過した時点で、これらのカップルは、最初から共同親権を望んでいたどのカップルよりも、より多くの葛藤をもち、子育てではより非協力的だった。この知見は、共同親権の付与は敵対的な両親の関係を改善しないことを示している。

上述したように、研究は、両親の間で離婚後の葛藤が高い場合には、監護権を持たない親と子どもの接触は有害であることを示している。両親が葛藤の雰囲気の中にあり、実質のある共同監護が子どもと親との接触を続けさせるなら、これは益よりも害になる(74)。共同監護はだから、両親ともに協力的で、このような裁定を望んでいるときには、ベストな選択になる。しかし、親どうしが協力できない、または片親が暴力的または虐待するようなケースでは、より伝統的な監護権のあり方が好ましいであろう。

母親と父親で、どちらが監護するほうが、子どもたちの適応は良いだろうか、研究の結果は?経済的観点から考えれば、ふつうは男のほうがより稼ぐので、父親のほうが良いように期待するかもしれない。一方、ふつうは母親のほうが育児の経験を持っているので、父親よりも母親ののほうが、より有能に世話することができそうだ。母と父の世帯の子どもたちを、所得をあわせて比較した研究では、いくつかの結果は母親の監護のほうが優れており、いくつかの結果は父親のほうが優れていて、そして別の結果では、子と同性の親のほうが好ましいとされた(36)。

最近の、大規模な全国サンプルに基づく徹底した調査(Downey と Powell, 75)では、子どもたちが同性の親を持つほうが良いという考えは、ほとんど支持されなかった。いくつかの調査では、子供たちは父親の監護下でより良い成績をのこした。しかし、世帯収入を揃えた比較では、子どもたちは母親の監護のほうがやや良くなる傾向にあった。この知見は、より高収入であるなら父の単身世帯がより子どもに益であるが、母が父と同じくらい収入があるのなら、そちらのほうが有利であることを示唆している。研究の全体的な発見は、しかし、監護権を持つ親の性別は、子どもの適応にはさほど大きな違いをもたらさないということだ。そこで一般的には、子供の性別に関係なく、どちらかが監護親として本質的に優れているというわけではない。

子どもの養育費の改革

監護権を持たない父親が、多くの場合、子供のサポートを支払わなくなることが広く認識されている。1987年の米国の国勢調査では、監護権を持つ、結婚していた女​​性の約3分の1は、子供のための養育費を受けていなかっった。受け取っていたうちの4分の1は、前年にはもらえていなかった(76)。以前は、養育費の支払い義務を遵守させることは困難だった、手続きが煩雑で手数料もかかったからだ。1988年に家族支援法の新たな規定が、税金の徴収のシステムを使うことを認めた。1994年から、親の給料から自動的に源泉徴収されるようになっている。

子供の養育費は、ほとんどのシングルマザーの所得の一部にすぎず、ほとんどの場合1/5を超えない。そこで、子供の養育費の支払いの厳格化は、子どもの生活水準を劇的に変えるわけではない。それにもかかわらず、通常、それは非常に必要とされる収入である。上述したように、経済的困窮は、子どもの健康、学業成績、心理的な適応に悪影響を及ぼす。そのため、離婚家庭の子どもたちの経済的困難を低減するあらゆる政策は効果的であろう。さらに、子供の養育のために余分な収入があれば、監護している母親のストレスが減少し親としての機能がそのぶん向上することで、子どもの利益につながるだろう。この見解と一致して、2つの調査研究で、監護権を持たない父親による養育費の定期的な支払いは、子どもの問題行動を減少させ、さらに学業成績を向上させることを示している(79)。さらにこれらの研究では、子どもと父親との接触が子どものウェルビーイングとは関係がなかったにもかかわらず、養育費の支払いに明確な効果を示した。

研究では、父親の大半が、養育費の全額を支払うことが可能であった;実際、多くはもっと払うこともできた(66)。これらの考察に基づけば、非監護父親からの子どもへの養育費は増額されるべきであろう。これは、養育費を受け取る子どもの割合を増加させること、養育費を引き上げること、そして運用を厳格化することが含まれるであろう。政府が最低限の給付水準を設定し、父親に能力がない場合にその全額を政府が保証する最低保証養育手当制度も、多くの子どもたちの生活水準を改善するだろう(80)。

父親の経済的なコミットメントを高めることで、父親の訪問の頻度が高まるであろう。他に理由がなくても、その金が賢く使われているかを確認するために。多くの研究は、子供の養育費を支払う父親は、より頻繁に子供たちを訪問し、子どもたちの事項をより多く決定していた、支払わない親に比べて(81)。もし厳格な適応を課すことで父親の訪問が増えるなら、それはいくつかの家庭では葛藤を増加させるだろう。その一方で、いくつかの子供たちは、より父親の関与が増えることで利益を得る。全体的にみて、子供たちに父親の経済的な貢献を高めることの利点は、あらゆるリスクを上回るように思われる。

シングルマザーの経済的な自立

上記のように、養育費支払いの厳格化は、シングルマザーとその子供たちの生活水準の向上に役立つ。しかし、父親が子供の養育費を完全に支払ったとしても、多くのシングルマザーの経済状況はおぼつかないままである。大体において、シングルマザーの経済的脆弱性は、アメリカ社会における男女の大きな不平等を反映している。女性は男性よりも収入が少ないだけでなく、多くの既婚女性は、より柔軟に仕事ができて、労働時間を減らせて、時間をフレキシブルに変えられて、家の近くに職場を選べるような、子どもを養うための将来の収入の可能性を犠牲にしている。このように、離婚は女性に支払われる賃金の低さでも、彼女らの職歴の上でも、不利である。長期的には、シングルマザーとその子供は、女と男が収入でも子どもの養育でも同じになったときにだけ、シングルファザーと経済的に同等になれる。

短期的には、しかし、シングルマザーが経済的に自立できるように、何らかの公的支援を始められないか。これらには、職業訓練や保育が含まれる(82)。これらのプログラムは、政府の支出が必要だが、母子ともに追加の公的補助が不要になるのなら、費用対効果が高いだろう。さらに、多くのシングルマザーは、医療や子育てなどの政府の補助を失うことになるため、働くことに「ペナルティ」を与えられている。女性が医療や育児上の利点を失うことなく、合理的な所得レベルを得られるよう、働く意欲をそぐような要因を取り除く福祉の改革が望まれている。実際、こうした方向の変化は、1988年の家族支援法の一部として実施されている(83)。シングルマザーの雇用が子どもにとっての害にはならないらしいこと、そして福祉を充実させるよりもむしろこのほうが子どもの生活水準を高めるらしいこと、そして経済的な自立がシングルマザーの精神的なウェルビーイングを向上させるであろうことから、これら変化は子どもの利益になるだろう。

子供のための治療的介入

Cherlinによると、親の離婚によって有害な心理学的経験をする子どもの割合は、確実な推定値がまだ得られていない(2)。研究では、多くの場合、子どもたちは治療的な介入を必要とせずに離婚に適応しているようだ。しかし、少数の子どもは、治療的な介入を必要とする適応の問題を抱えることがわかっている。子供に適した治療的介入のタイプは、適応の問題のタイプと重症度、そして期間の長さによって異なる。治療的介入の主要なタイプは、子供にむけた介入と、家族に向けた介入の両方を含む(84)。

子ども向けの介入は、離婚後に一般的に子どもが経験する問題を軽減することで子どもたちを助けることを試みる。いくつかの介入プログラムは、個人ごとのプライベートな療法が含まれる。しかし、多くのシングルマザーは、プライベートな治療費を支払うことができないので、グループセラピーを受けさせることになる。

一般的にこれらのセッションでは、子供たちは、彼らの経験を共有し、問題解決の戦略について学び、相互支援を提供するために、定期的なサポートを受ける。また子供たちは映画を見たり、絵を描いたり、行動療法に参加することができる。いくつかの理由で、離婚家庭の子どもたちの小さいグループを用意することが望ましい。かなり多人数になってしまいかねないというだけでなく、グループ自体が治療的であるのだ:子供たちは、大人たちと一緒にいるよりも容易に、自分たちの経験や感情について、他の子供たちと話をすることができる。ほとんどのグループプログラムは学校に配置されている。このようなプログラムは、米国の数千の学区に導入されている。

これらのプログラムの評価が試みられている。方法論的な制限にもかかわらず、大部分は好ましく運用されている。プログラムに参加していない子どもに比べ、離婚に適応しない・離婚を信じられない子が減少し、不安やうつが減り、自己概念が改善されている(85)。ほとんどの結果は良好だが、プログラムのどの要素がもっとも効果的なのかは完全に明らかではない。たとえば改善は、離婚についてより理解したこと・新たに取得したコミュニケーション能力・他の生徒からのサポート、のいずれかのせいかもしれない。より多くの評価研究が必要であるものの、しかしこの良好な結果は、子どもへの精神療法のプログラムの開発と導入を進める正当性を示すには十分である。

子どもに焦点を当てた介入に加えて、家族に焦点を当てた介入がある。これは教育と治​​療のプログラムの両方を含む。これらのプログラムは、離婚しつつある親を対象にしていて、子育てスキルの向上と、子どもをめぐる葛藤のレベルを減少させる目的がある(86)。こうした治療的介入は、子どもたちに利益をもたらすものと期待されるが、効果はまだ実証されていない。

今後の研究はどのような方向に行くべき?

すべての条件が同じであるとして、既存の研究は、両親がそろって良好に機能する核家族は、離婚して片親しかいない家族よりも、子どもの成長と発展のためのより良い環境であることを示している。離婚家庭の子どもたちは、グループとして、多くの、心理的、学術的、社会的な問題の、より大きなリスクにさらされている。そして離婚独身親家庭で育った大人は、グループとして、両親が揃った庭で育った大人のような、精神的・物質的なウェルビーイングのレベルには達しない。しかし、我々はものすごい葛藤のもとで両親と住むよりは、ひとり親世帯に住んでいる方、多くの子どもにとっては良いことを心に留めておく必要がある。さらに、我々はほとんどのシングルペアレントが、愛ある、形のある家庭生活を子どもに提供するために、懸命に働いていることを認識する必要があります。多くのひとり親家族は十分に機能し、育った多くの子供たちは、よく適応した大人へと発達する。ひとり親を、その家庭の子どもたちが経験した問題をもとに非難するのは無意味だ。

現時点で、子供や離婚についての我々の知識を、特定の方向に拡大する必要がある。長期的に離婚がどう影響するかは、対処すべき基本的な疑問だ。この疑問への答えは、社会政策や裁判制度に情報を与え、介入のモデルをつくり、親の意思決定に影響を与えるだろう。この種の情報は、縦断的・また縦断的かつ経時的なデザインの研究から得られるべきである。必要なのは離婚以前から始まる研究だけでなく、思春期を経て大人になった離婚家庭の子どもたちの調査である(87)。

またどのようにして要素が合わさって子どもに影響するのかのデータも必要だ:親との関係、親の適応、経済的ウェルビーイング、葛藤、ストレスへの暴露といった要素が、どう組み合わさるのか。この研究によって、どの子どもが離婚によって多くを失い、どの子どもがわりと無事で、どの子どもが恩恵をうけるのかが知り得るようになる。

異なる人種や民族の子どもたちに、離婚がどのような影響を与えるかについての情報は、臨床的および経済的な介入の観点から有益であろう、研究の別の領域である。そして、様々な介入の詳細な評価、法律(共同親権、調停、養育費改革)と治療の両方で、もまた必要とされている。

離婚家庭の子どもたちが被るウェルビーイングの低下を小さくしていくこと、それを助ける政策を確立することに焦点をあてるべきだ。高い離婚率やひとり親家族はアメリカ社会の暮らしの帰結だ。親の離婚が不可避なら、子どもが乗り越えやすくしてあげねばならない。

文献と脚注

原文を参照のこと) http://www.princeton.edu/futureofchildren/publications/docs/04_01_08.pdf

2014年5月17日土曜日

子育て:共同親権がダメな場合

限られた調査結果ながら

もとになったデータはそれなりにたくさんのサンプル数からきてます。
離別後の4年半経過後でみてる、その後どうだったのかはわからないわけですが。

でもこれ、訳者には説得力はあるんですよ。なんでかというと、この結果を教えないまま、
「連れ去られたあと母親の家から逃げ出してきた」娘とディスカッションしてみたんですが、
こいつ、(下敷きの論文に)書いてあることをほぼそのまま体験として語るんです。
親の対立のなかに巻き込まれるのはごめんだと。

ここに書いてあるのは極めてシンプルです。良い順に
1.身体的共同監護 両親が協力的

2.法的共同監護ないし単独監護  実質的に片親がみる

3.身体的共同監護 両親が高葛藤

結局、3では洗脳合戦になりかねないわけで。
共同親権がうまく働くには、
まず子どもを葛藤の中心におかないですむ状況を作らねばならない。

翻訳: Amato 1994 共同親権は効くか?

実務的共同監護権の選択を増やす

米国での監護権の決定は、歴史的に、主に社会的な影響を受けて、時間の経過とともに変化している。18世紀には、監護権はふつう父親に与えられた。彼らが家長だと考えられていたし、子どもの世話をするための経済的な基盤をもっていたからだ。19世紀には、監護権は女性に移った。この移行の理由はおそらく、少なくとも部分的には、産業革命の結果、生活費を稼ぐために父親が家から職場に出るようになったためだと考えられる。この状況で女性は、男性が仕事に行っている間、子どもの主たる養育者として世話をする必要があった。この状況下で、児童発達の理論家も母と子の関係の重要性に着目し、子供が母親の親権下にいるほうが良いのではないかと(根拠なく)考えていた。ところが最近では、共働き家庭が普通になり、子の養育に両親がかかわる重要性が強調されてきた。こうした変更は、両親との関係を維持することの重要性を強調する現在の法律に反映されている(66)。事実として、現在は多くの州で選択できるようになった、実質のともなう共同監護(実務的共同監護)を選ぶ親が増えている(59)。実務的共同監護は、両方の親が法的な権利と義務を有し、両親ともに子供とかなりの時間を過ごせるように意図している。より一般的な、法的共同監護は、両親への法律上の権利と責任を与えるが、子供はどちらか一方の親とだけ住んでいる(66)。

法的共同監護は、子供たちの人生に両親が関与できるという範囲で利点がある。しかし、研究によると、親の収入、教育、離婚前の親の状況を揃えた上で比較した場合、法的共同監護と母親の単独監護は、父親が払う生活費・面会・子どもの重要な決定事項への関与において、実質的に変わらなかった(66, 67)。法的な共同監護には、両親が重要であるという象徴的な意味があるが、実際にはほとんど役に立っていない。

これとは対照的に、実務的共同監護は、より多い父親との接触、関与、および養育費の支払いに結びついている(68)。父親も、母親の単独監護よりも、実務的共同監護のほうがより満足するようだ。例えば、Shrierらは1991年に2つの地区での調査で、父親が養育費や経済的なサポートをするにあたって、母親の単独監護の場合よりも実務的共同監護のほうが有意により満足していることを示した。実務的共同監護がより両親に会いやすくするのなら、子どもにとっても有益であるだろう。一方、住居が不安定になることは、ある子供たちにはストレスになりえる。まだ多くの研究結果が出ていないが、いくつかは実務的共同監護がより子どもの適応につながっていると報告し(70)、別の結果は差がないと報告している(71)。

しかしながら、これらの結果は、あまりにも楽観的なイメージを与えるかもしれない。裁判所はそれを要求するカップルには、共同監護を付与する可能性が最も高い。カリフォルニア州におけるMaccoby とMnookinによる大規模な調査では、実務的共同監護を選択するカップルは、単一親の監護を選択するカップルよりも、高い教育を受け、高所得であることがわかった;さらに、比較的に敵対性が低く、父親は離婚以前から子どもによく関わっていた(66, 72)。これらの知見は、実務的共同監護が本当に効果的なのかどうかを試験する際に、擬陽性を与える可能性を示している。これらのカップルは最初から立ち位置が違うのかもしれない。

自分たちのの意思に反して実質の伴う共同監護が両親に課された場合、うまく機能するとは考えにくい。これらの条件下で、共同監護は父親と子供たちをより多く接触させるだろうが、両親間の葛藤は増えるだろう(73)。監護上の対立は比較的に珍しいが、Maccoby とMnookinは、こうした監護権の紛争を解決するために使用されていることを報告している。彼らの研究では、母親と父親がそれぞれ単独親権を求めて争ったケースの約3分の1に、共同親権が授与された。さらに、保護者の間の葛藤がより高いほど、より共同親権が付与される可能性が高かった。離婚後に三年半が経過した時点で、これらのカップルは、最初から共同親権を望んでいたどのカップルよりも、より多くの葛藤をもち、子育てではより非協力的だった。この知見は、共同親権の付与は敵対的な両親の関係を改善しないことを示している。

上述したように、研究は、両親の間で離婚後の葛藤が高い場合には、監護権を持たない親と子どもの接触は有害であることを示している。両親が葛藤の雰囲気の中にあり、実質のある共同監護が子どもと親との接触を続けさせるなら、これは益よりも害になる(74)。共同監護はだから、両親ともに協力的で、このような裁定を望んでいるときには、ベストな選択になる。しかし、親どうしが協力できない、または片親が暴力的または虐待するようなケースでは、より伝統的な監護権のあり方が好ましいであろう。

母親と父親で、どちらが監護するほうが、子どもたちの適応は良いだろうか、研究の結果は?経済的観点から考えれば、ふつうは男のほうがより稼ぐので、父親のほうが良いように期待するかもしれない。一方、ふつうは母親のほうが育児の経験を持っているので、父親よりも母親ののほうが、より有能に世話することができそうだ。母と父の世帯の子どもたちを、所得をあわせて比較した研究では、いくつかの結果は母親の監護のほうが優れており、いくつかの結果は父親のほうが優れていて、そして別の結果では、子と同性の親のほうが好ましいとされた(36)。

最近の、大規模な全国サンプルに基づく徹底した調査(Downey と Powell, 75)では、子どもたちが同性の親を持つほうが良いという考えは、ほとんど支持されなかった。いくつかの調査では、子供たちは父親の監護下でより良い成績をのこした。しかし、世帯収入を揃えた比較では、子どもたちは母親の監護のほうがやや良くなる傾向にあった。この知見は、より高収入であるなら父の単身世帯がより子どもに益であるが、母が父と同じくらい収入があるのなら、そちらのほうが有利であることを示唆している。研究の全体的な発見は、しかし、親権を持つ親の性別は、子どもの適応にはさほど大きな違いをもたらさないということだ。そこで一般的には、子供の性別に関係なく、どちらかが監護親として本質的に優れているというわけではない。

2014年5月12日月曜日

方法についてのつっこみ

ちょっと前節につっこみを。

因果関係についての確固たる結論は、本来は実験を必要とする;
しかし、離婚した・していない家庭にランダムに子どもを割り当てて派遣するようなことは許されない。

そりゃそうだ。

なんですが、実験だって、コントロールしきれない何かなんて、
しょっちゅう生じます。
完全に純系になっている植物にだって個体差はでる。
近交系で飼っているマウスにはもっと個体差があって、むしろ個性というか、
群れには確固たる順位ができる。

マウスがちょっとした感染症にかかったみたい、なんてのは、
データからわかることもあれば、わかんないこともある。
そのデータをとるときのミスないしぶれもある。

計画実験をやればコントロールできないことを減らせるんだけど、無にはできない。
だからこその統計的な検定なんですよー。
「この差が偶然によって生じる確率は1%以下である」ことを、統計手法で確かめるんです。

結局、科学にできることは、より確からしいことに限りなく進んでいくということ。
真理はわからない(しかし真理であろう確率を推定することはできる)。

心理学、まだ科学としては「似非」に近いレベルにあります。玉石混交かもしれん。
これは最近、勉強していて、つくづくおもう。科学を名乗っていい段階とは違うと思う。
けどそれにしたって、だんだん(たぶん)改善されていくんでしょう。
科学にたいする憧れの気持ちはわかる。しかし、科学そのものだって、
真理に到達する試みに過ぎないです。

検定して、結果が有意であったときの考え方は、他の科学でやっていることと
なんら変わるべきでないと思う。
何人かの研究者が、同じような調査で同じような結論に達したのなら、
それは暫定的な真理として扱うべきです。
もっと自信もってくれAmatoさん。

2014年5月2日金曜日

今後の予定

しばし、陳述書をつくってました。

今後、ちゃんと訳しておきたいなというのは
Life-Span Adjustment of Children to Their Parents’ Divorce
Paul R. Amato

これ、離婚後の子どもの利益について、
棚瀬一代先生が説明されるときにつかわれてる論文です。
なら読んどかなきゃだなと。

カナダの裁判所の、面会交流への公式見解であるところの
MANAGING CONTACT DIFFICULTIES:
A CHILD-CENTRED APPROACH
これも読んでおきたいけど、むー、長すぎ。これは訳は勘弁。
なんかちゃっちゃっとまとめようかな。
堀尾の共同親権学18「交流の困難さへの対応」
でも取り上げられたから、十分かな。