2014年2月28日金曜日

子育て・発達障害はなぜ深刻か

以前に書いたエントリーがいまいちわかりにくかったと反省。

脳の細胞の特殊性

人間の脳は、あらゆる動物の組織のなかで、すごく特異な性質を持っています。
複雑な器官でもある。いろいろに分化した細胞が、ドンピシャな組み合わせ方で
集まっています。

こういう複雑なもんを、われわれの限られた遺伝情報でくみたてるのって、至難です。
もちろん、こんな複雑なものの設計図はゲノムにはない。
ゲノムには何があるか? それは、せいぜい、それぞれの細胞の働きの設計図です。
細胞は、お互いに情報をやりとりしながら(オーガナイザーを出したり受けたり)
それぞれが行くべきところ、とるべきかたち、発現すべき機能を実現していきます。
当然、「学習」も重要です。なんもしないで放っておいて、
高次な機能を獲得することはできない。

幹細胞を用意しても、脳の一部だけをつくることは、たぶんできません。
これは、最初から全部をつくることしかできないんじゃないか。
何年もかけて。

ある程度に完成したヒトの脳は、とても大きくなるから、
ヒトの産道を通ることができません。
だからヒトの赤ん坊は、ああした未熟な状態で生まれてきます。
生まれたあと、がんばって作って行かねばならないのです。

だから、順番って重要なんですよ。
もう出来上がっちゃった回路は、組み換えがききません。
作られるべきときに作られなかった機能は、あと付けできないんです。
途中から目の機能を回復してあげても、
視覚情報を処理することができるようにならないから、
ちゃんと見えるようにはならない、たとえば。
いま背中に鳥のような翼をつけてもらったとしても、
操れないから、飛べるようにはならないです。

しかも、ヒトの脳細胞は、作られる期間がきまっている。
ある時期をすぎたら、もう増えない。あとは基本的には死ぬだけ。
海馬とか、ごく限られたところが、限られた増殖能しか持たない。
がんばれば覚えられた時期ってあったでしょ? 
あれは、そのときだけです。もう帰ってきません。
時期が重要なんですよ。

被虐待児の脳は、まともに生育できなかった部分を持ってます。
あるいは、ストレスの挙句、異常に亢進したホルモンの影響をうけて
死んで脱落したか変性して血管が萎縮したか、もう働かなくなった部分、
ということなのかもしれない。

脳の機能には可塑性があるから、そうした部分が本来受け持つべき機能を、
別のところが補えるかもしれない。でも、間に合わないかもしれない。
そして、間に合わないことのほうが多いのかもしれない。

私達が、ある種の学生に対して感じる無力感はここに起因してます。
手遅れという言葉が、こんなに若い子たちにこれほど似つかわしくない言葉が、
でも、ぴったりきてしまう。

TEDで、ジム・ファロンの講義をみてみてください。
彼も脳科学者で、犯罪者の脳に興味をもったのですが、
ある種の犯罪者に共通する遺伝子の異常が自らの家系にもあることを発見しました。
この遺伝子は、ホルモンの亢進のために、脳のある部分を弱らせてしまいます。
そこは共感を司る部分で、そのために、この遺伝子異常をもつ人は
連続殺人などを引き起こしやすくなると考えられます。

このひとはしかし、自分自身がその遺伝子異常をもつこと、そして
自分自身の脳のその部分が弱っていることを見つけました。

でも彼自身は幸せな結婚をしていて、家庭をもち、まともに研究者として働いています。
すんげえ良い大学の教授です(まあ、大学の教授って、人を食ったようなひとおおいですが。
シリアル・キラーはあんましいないと思う)。

なにがこれを可能にしたか? なぜ彼の頭脳のどこかが、失われた機能を肩代わりできたか?
それが教育。それが、親の育て。彼は親から、とても大切に育てられたのです。

その逆だってあるってことです。
遺伝子的には何の問題もなくても、
ひどい育てられ方をすれば、才能が開花しないどころか、
ぜんぶダメになってしまうことだってあるでしょう。
オオカミに育てられた少女は、もう人間にはなれないんですよ。

だから、まともな教育の機会を奪ってしまう、
人とのつながりを断ってしまう、連れ去りと引き離しは、深刻な犯罪なのです。
親だからって、自分の子供をそんな人間にしてしまう権利はもっていない。
まして、公的な機関が、そんな行為に手を貸してはいけない。
子供の権利を司法や行政が踏みにじることは、とても看過できない。

ごめんなさい、柄にもなく、偉そうなことを言ってるぞ。

ちなみに、最近は、対象を傷つけずに、
脳の構造や機能をかなりよく調べることができるようになりました。
殺しちゃってもいいんなら、もっといろいろ調べられるのですが、
それだと人間のは調べられないから。
だから、いま以下のような装置が脳科学の大きな戦力になってます。
遺伝子の関わりも調べられるようになりました。
ほんのいくつかの細胞があれば、そこで働いている遺伝子について
調べることができるようになっています。

こんな方法をつかって可視化します。やっぱ目で見えることって説得力があります。

脳の可視化・MRI

核磁気共鳴(NMR)をつかって、プロトンに歳差運動をおこさせ、
それが戻って行く過程を測定し、結果を画像化する方法です。
要は、体のなかにはいっぱい(水やらタンパクやら)プロトンがあって、
そこに強い磁気パルスをかけてやることで「磁化」させてやり、
それが消磁されていく過程を測ると。
プロトンがおかれている状況で消磁の過程はかわるから、
そこに位置情報とともに適当なコントラストを与えてやれば、画像になります。
これ、最近の3テスラのやつなんかだと、本当にくっきりばっちり
輪切りが見れるです。私もすげーたまげました。
ノーベル賞とっちゃうわけだよ、開発者。
でもまあ、その磁力をつくるために、液体ヘリウムで冷却とか、
すげえ電源とかは必要。
装置一式も数億円のオーダーになるんじゃなかったかな。

脳の可視化・PET

ポジトロン断層法の略。磁気ではなくて、すごく半減期が短い放射性物質を体にいれて、
そいつらがどこに行くのかを画像化する。
血流があれば、あるいは代謝が活発になれば、それを眺めることができるから、
たとえば刺激を与えたときに脳のどこが活発になるかを調べたり、
腫瘍が羽目を外していないかを見たりできる。
解像度はMRIよりはずっと劣るけど、
イマイマどこがどのくらい活発なのかがわかるのが意義。
ただ、ちょっとしたサイクロトロンがないと、その放射性物質を用意できない。
なんせ数分とかの半減期なので、輸送とか貯蔵ができないのだった。
だから装置一式は、さらに大掛かりになる。

脳の可視化・CT

コンピュータ断層撮影の略。X線をつかって連続的なスキャンをし、
その結果を3Dに再構成して画像を得る方法。PETと組み合わせることも。
あんまり柔らかい組織(脳はけっこうソフトだし)だと透けちゃって、
コントラストがつけにくいけど、解像度は高い。

2014年2月26日水曜日

子育て・虐待の加害者は、父母のどちらが多い?

加害者は実母、というケースが多い

裁判所の統計資料によると、
○虐待者は,実父が28.7%,実母が53.4%となっている
そうです。これだけ差があると、たとえばz分布に近似して計算すると
P値が3E-7くらいになって、すごく有意に違うことがわかります。

母と一緒にしておけば安全という母性神話は、考えなおすべきですね。

子どもにとっての面会交流のメリットのひとつ

は、こうした虐待が、もう片親からチェックできることです。

うちみたいに、引き離されちゃってると、何が起きているか、わからないです。
虐待は密室でエスカレートします。

さきほどの、秋田家裁の調査官の
子どもが会いたがってないなら交流させない
は、たとえば、この状況を知らないからこその発言でしょう。

子育て・片親疎外について司法は認識しているか?

認識されてないかもしれない。

不勉強なのか誤解なのか、または何らかの利益誘導なのか、
あまり認識されていないかもしれない実情があります。

たとえば、各地方裁判所には委員会があって、広く国民から意見を聞き、
あるいは啓蒙活動をしているのですが、
横浜家裁で平成24年11月28日に開かれた委員会の会議事録が公開されています。
ここで、ちょっと興味深いことが行われていたらしい。

この日、オブザーバーとして弁護士が参加していました。
そして、実務者としての意見を求められたらしい。
彼はレジュメを用意して、以下の意見表明ないし虚偽の発言をしています。
レジュメを引用しますね。
第4 心理学ないし児童精神医学の視点
1. いわゆる片親引き離し症候群(Parental Alienation Syndrome 略称PAS)
のようにすでに欧米で否定されているような理論を今さら導入しようと
する愚が法律に携わる者においてすら行われている。
と、このような独自の世界観を展開し、面会交流の意義を否定しています。

なぜ弁護士が、自ら心理学の大家のように振る舞うのか、
多くの研究を無視するのか、そして、その場がこの人に支配されていたのか、
(だれも間違いを指摘できないくらい不勉強だったのか)
いろいろ疑念は尽きないのですが。

この弁護士が、連れ去り・引き離しのプロであるなら、利益誘導。
誤解したまま威張っているなら浅薄。
たとえば、DSMに掲載されないことにかんして、米国の心理学会は、一言も、
「片親疎外を否定する」ことはしていません。
認めるにはまだ時期尚早であるので、今は何もコメントできないというのが、
彼らの立場であるはずです。
それでは現場が困るじゃないかというのが、むしろ実務家たちの実感だと思われます。

この弁護士先生、すごく断定的におっしゃってますが、
これは多くの人々の研究結果の軽視に他なりません。
たとえば、ここで愚かであると酷評されている人々のなかには
衆議院第一議員会館で開かれた超党派の集会
「親子断絶防止法制定を求める院内集会」で公演をされた
棚瀬一代先生も入っているんでしょうね。

私がその分野の研究者だったら、発言の真意とともに責任を問うだろうと思う。
あと、この先生、民法と真逆の主張をなさってますが、
弁護士が不法行為を教唆するのって、適法なことでしたっけ?
こういう人を招いて好き勝手喋らせておくのは、地裁の委員会として、適切な行為か?

まあいずれにしても、こうして議事録を公開してくれているので、
ああ、間違ったことをやってるぞとわかるし、
そこをお知らせすることもできます。これが開かれた裁判所のいいところ。
聞く耳をお持ちかどうかはわからないですが、意見を伝えることはできる。
その点、お白州からは離れている。

別の例として、秋田県の家裁委員会のケースを見てみましょう。
(委員の質問) 親が面会交流を求め,子供が親に会いたくないと言ったとき,
子供の意思 と親の意思とではどちらが優先されるのか。

(説明者) 調停においては,率直に子供がこう言っていましたと
当事者に投げかける 中で,親には,どうして子供がそういう気持ちになっているのか,
そういう 気持ちをどうやって解していったらいいのかということを,
子供の視点に立 って考えてもらうことになると思う。
審判においては,面会交流は親の権利 であるとともに,
子供が健やかに成長するための子供の権利でもある
という のが一般的な考えであるので,
子供の福祉を明らかに害すると考えられると きには,
子供の真意かどうかを確認の上,
面会交流については,一部制限さ れたり,
禁止されることが考えられる。
この資料では、引用箇所の前段で、子の真意を聞くために
裁判所がどういった配慮をしているかをいろいろ説明しています。

そうした配慮をしているので、子の真意が反映されているから、
その上で会いたくないと言っている子に会いたいというのは
親のエゴであるのでけしからん

というストーリーだと思われます。
その子がいま洗脳状態にあるかどうかといった配慮は、していなそう。
それでは虐待を見落としますよー。

この説明者、なぜ面会交流が子供の利益なのかを、
まるっきし理解していないものと思われ。
彼はたぶん調査官なんですが、不勉強であると言わざるをえない。

棚瀬先生、がんばれ。超がんばれ。家裁は啓蒙が必要みたいです。

2014年2月25日火曜日

子育て・片親疎外に対しての(学術的な?)批判はどういうものか

批判の実際?

国際的に使用されている精神疾患の治療マニュアルがあります。
これは、治療者の個人的な経験に頼るところ大であった精神病の治療を、
もっと科学的な客観性をとりいれるべく画策されているものです。
その分野の専門家が長いこと討論してできあがってくるもので、
当然、研究の進歩を取り入れて改定されていきます。

こうしたマニュアルの一つにDSMという、米国の精神医学会が編纂しているものがあります。
これ各国で使われるもので、日本でも臨床家が参考にしているようです。
これだけで診断ができるって程のもんではないんですが、
それはまあ内科のマニュアルと首っ引きの医者が信頼できないのと同じですね。

この新しい版 DSM-V が2013年に作られたのですが、その際に片親疎外を
取り入れようという動きがありました。よく見られる子供の状態であり、
様々な深刻な合併症を引き起こすので、取り入れるべきだというのは
たいへんリーズナブルな意見です。
一方、強力な反対意見もまた多くあります。
結局この版では見送られることになったのですが、
それら反対意見を4種類にカテゴライズして、
それぞれに反論した論文(査読付き原著論文)があります。

また、臨床家たちの学会において、どういう討論がなされているのかを、
日本からの参加者が紹介した論文があります。

ここでは、この2本の論文についてご紹介します。

Parental Alienation, DSM-5, and ICD-11: Response to Critics

(著者) William Bernet, MD、 Amy J. L. Baker, PhD
(誌名・巻・号)J Am Acad Psychiatry Law 41:1:98-104 (March 2013)
(ここで原文が公開されています) 
この原著論文によると、片親疎外が存在するかどうかについて、大きく4通りに分類できる否定的な見解が表明されています。しかしそれらはことごとく誤解に基づくもので、多くの実務者は片親疎外の事例を、実際に経験しています。
以下、この論文要旨を紹介します。

1 米国心理学会の見解を誤解したケース

この学会はかつて、「まだ充分なデータがないので、学会として公式な立場を定めない」という短いステートメントを出したことがある。これを誤解して、この学会によって存在が否定されたとか、まだ学術論文になっていないという批判がしばしばなされている。
しかし実際には、1980年台から、かなり多くの調査がなされており、それらは学術論文として刊行されている。逆に、これを否定する研究結果は見当たらない。そこで、上記の批判は見当違いである。

2 片親疎外ないし引き離し症候群が誤用される懸念

もしこれが誤用されると深刻な被害を及ぼす(適切な親から引き離して、DV的な親に引き渡すことにつながるから)という批判がある。
たしかに、高葛藤な裁判の場合、正しい証言と偽証が提出されて主張が食い違うのは、よくあることだ。どちらかまたは両者がそれぞれに片親疎外を主張することもよくある。しかし、誠実な裁判官を欺くのはそう簡単ではない。不幸にして間違えるケースがあったとしても、そう多くはないはずだ。実際、こうした間違いの例は、これまでにおそらく1件しか報告されていない。
DV的な親に騙されないための良い方法は、片親疎外の定義を皆が理解・共有することだ。すると、よく引き合いに出される「子供が面会を拒否したから、これは片親疎外だ」という(DV親からの)主張は通用しない(証拠不十分だから)。実際には、片親疎外の定義となる観察結果を偽造するのは、かなり困難である。

3 片親疎外を唱える人々の動機に関する疑惑

これが認められることで、父親の利権団体は利益を得るだろう。また、臨床心理士なども、その収入源を得ることになるだろう。その利益誘導が真実を歪曲しているという批判がある。
研究者たちが見る限り、実際にはおそらくふたつの動機がある。ひとつは、より真実に近づこう(たとえば正直さとか、科学的な価値とか)という動機。立場や意見の違いはあれ、実際に臨床や法の実務に関わっている人々のほとんどは、片親疎外が存在することを認めている。Association of Family and Conciliation Courts(家庭問題の解決を通じて、子どもと家族の生活を向上させるために働く職業人のための、非営利で国際的な協会)の会員を対象にした非公式な調査によると、回答のあった300のなかの実に98%が、「ある子どもたちは、その保護親によって、他方の親を正当な理由ななしに避けるよう操られている」ことを認めている。もうひとつの動機は、子どもたちが両親と健全な関係を築けるようにしたいということだ。これがきちんと認識されることで、子どもたちの問題発見と解決につながっていく。

4 (研究の第一人者である) リチャード・ガードナー個人への批判

査読のある学術論文として発表したのではなく、自著のなかでこの概念を明らかにした。そのため、これが証拠を欠いた妄想ではないかという批判がある。
たしかにガードナーはたくさんの本を出版しているが、彼が注意深い実務家であり、多くの臨床経験に基づいた意見であったことは明白だ。そして、片親疎外に関して、数多くの査読付き原著論文も著している。


Association of Family and Conciliation Courts大会の参加報告

大正大学の青木聡教授が、2010年の大会に出席したときの報告です(大正大学研究紀要)。DSMなどへの登録に際して、どんな話し合いがなされていたのか、その舞台裏が垣間みえます。

片親疎外を、DSM-5やICD-11*といった、国際的な診断基準として取り入れるべきかどうかの論争があった。これに否定的な人々は、定義が難しいこと、現場の混乱を招くこと、むしろ診断よりもその解決法の開発が急務だと主張した。しかし、いずれの人々も、この現象が存在することでは一致していて、いかにそれを解決すべきなのかを考えていることは共通していた。

以下の大会宣言が採択された。「『片親疎外』は、子どもに深刻な悪影響を与える問題である。離婚後も子どもは二人の親(父親と母親)を必要としている。私たちは『片親疎外』から子どもを守る」。

*いずれも国際的な、疾病の診断のための手引である。精神科は、伝統的に、医療者個人の経験に基づいて診断や治療方針の決定がなされてきた。そのため他科に比べ自然科学の発展による恩恵が得難く、患者の利益を損ねているという批判があった。そこで客観的な医療を実現するために、共通する指針を得るべく、多くの専門家が共同して、これらのマニュアルを作製・改定している。William Bernetはそうした専門医の一人である。

DSM-5:精神障害の診断と統計の手引きは精神障害に関するガイドライン。精神科医が患者の精神医学的問題を診断する際の指針を示すためにアメリカ精神医学会が定めたもので、本邦でも使用されている。片親疎外をこれに記述することで、この問題の発見と解決を早めようとして、多くの専門家がその準備作業をしている。

ICD-11 :疾病及び関連保健問題の国際統計分類は、死因や疾病の国際的な統計基準として世界保健機関 (WHO) によって公表された分類。死因や疾病の統計などに関する情報の国際的な比較や、医療機関における診療記録の管理などに活用されている。

裁判・東京高裁にみた良心

東京高裁 平25(ラ)1205号

昨日、お願いしている弁護士の○○先生のところへ、打ち合わせに行ってきました。

この先生はベテランで、それだけにこのへんの「相場観」に明るく、
またそれだけに、たとえば共同親権とか、頻繁な面会交流は困難だろうと
予想していらっしゃいます。

ある意味、もしこの先生を説得できないようなら、
裁判ではぜんぜん通用しないだろう、と思うです。

これ論文かくときもそうで。
指導教官がいる場合は、その教官を説得できないようでは、
その原稿は、まともなジャーナルにはアクセプトされないもんです。
共同執筆者の意見統一ができないときもそう。
私の場合、もっとも最初のハードルは、たぶんこの先生です。

さて、先達のサイトに、 表題の記事がありました。これは 判例タイムスの記事を紹介したものです。
これ○○先生の事務所でバックナンバーを見せていただきました。

先日の調査報告書で、うちの家裁に失望していたんですが、
なんだか司法を信じていいのかなと思わせる内容でした。
以下、かいつまんでご説明します。

事案のあらまし
夫によるDVを理由にして妻が娘(小1)を連れ去った別居で、そのまま引き離しています。
夫が理不尽な暴力をふるい、支配的であったため、逃げ出したようです(気の毒)。
ここには争点はなく、しかし、子供への暴力はなかったらしい。
子供は父には会いたがっていないらしい。
これには、あまりはっきりした理由がなさそう。
離婚協議が進行中で、面会交流を求めて審判がなされていました。
地裁で、月に一度の面会が申し渡されたのですが、
これを不服とした妻が即時抗告した事案です。
高裁の決定
原審判を取り消して、差し戻し、でした。
抗告を却下したのではなく、審判をやりなおせ、審理不尽であると。
では、審判のどこがダメだったのでしょう。

両親が高葛藤な離婚係争中であれば、子供に忠誠葛藤が生じるのは当然である。
その状態での発言をもとに、「会いたくない」と解釈することはできない。

面会の頻度と方法について話し合われた形跡がない。
その根拠も示されていない。

(さらに踏み込んで、)
両親が高葛藤な状態であるときに面会交流を命じても
うまく機能しないだろう。
第三者の介入をふくめ、禁止事項や順守事項を盛り込むといった
方策を示すべきだ。
子の福祉
私からみて、この決定の画期的なところは以下の3点ではないかと。
  1. 何より子の福祉が優先されるとしたこと。
  2. そのためには両親から愛されているという実感が必要で、そのために面会交流を望ましいかたちで実施すべきだとしたこと。
  3. 判例よりも、いまそこにある事実を尊重していること。
要は、「ちゃんと調べた上で、法律にあるようにやってくださいよ」ということですが、
どうすれば子供の利益が守られるか。地裁が、期待されている大きな役割を全うできるか。
こうなっていない現状を、上級審が認めたということが、画期的です。
司法がお白州を脱却していくステップを見る思いです。

ちなみに、これに関連する民法はこうなっています。

(離婚後の子の監護に関する事項の定め等)
第七百六十六条  
  1. 父母が協議上の離婚をするときは、子の監護をすべき者、父又は母と子との面会及びその他の交流、子の監護に要する費用の分担その他の子の監護について必要な事項は、その協議で定める。この場合においては、子の利益を最も優先して考慮しなければならない。
  2. 前項の協議が調わないとき、又は協議をすることができないときは、家庭裁判所が、同項の事項を定める。
  3. 家庭裁判所は、必要があると認めるときは、前二項の規定による定めを変更し、その他子の監護について相当な処分を命ずることができる。
  4. 前三項の規定によっては、監護の範囲外では、父母の権利義務に変更を生じない。
最初に、「子の利益を最も優先して考慮しなければならない」とある。
これでこそ、児童の権利に関する条約に加盟する法治国家の、あるべき姿でしょう。
でも、当たり前のことが当たり前にあるのは、じつは貴い。

この時間に関しての私見
このケース、奥さんの不貞もあったりするみたいなんですが、
「暴力によって支配」は論外ですよ。家族ってそういうものじゃないでしょう。
それはダンナが悪いよ。
子供にも被害が及ぶかもしれないって懸念も出てくると思う。
面会交流をみのりあるものにするためにも、
ダンナにもカウンセリングを行うとかして、
その暴力衝動の元にあるものを突き止めないといかんのでは。
そのまま子供に会わせても、子供が板挟みになっちゃいかねないし、
もし子供が片親疎外だったら、悪化させかねないし。

だから、そこまで踏み込んだ東京高裁の決定はエライと思うです。

あと、ここでは「片親疎外」というタームが使用されてませんが、
「忠誠葛藤」を使うことで、片親疎外の概念が盛り込まれています。
どうしたら、その葛藤のなかにある子供を救えるか、知恵をつくして考えていらっしゃる。
ここに、裁判官の良心を感じるです。

2014年2月24日月曜日

子育て・片親引き離し症候群に関する定義

ガードナーによる定義、ないし症状の説明

現在の片親疎外の定義がこうなのに比べて、
最初に提出されたガードナーによる定義はもっと詳細です。
このリストは、かなり長いこと、実務家たちに使われてきました。
たぶんこの状態の子供について考えるときには、
こっちのほうがより役立つのではと思うので、
ご紹介しておきます。
(もしかして、適切な用語の選択に難があるかもしれません。
間違いはコメントでご指摘いただけると嬉しいです。

リストの原文はガードナーの原典ではなく、それを引用した論文をもとにしています)。

  1. 子どもによる、標的親に対する一貫した誹謗中傷。
  2. 子どもが標的親を批判するときに、馬鹿げた理由付けが行われる
  3. 「借りてきたシナリオ」   子どもが標的親を非難するときに、監護親の使う言い回しや言葉やアイデアを使う。しばしば、話している言葉や内容を理解していないこともある。
  4. 拒絶することに、迷いや、ためらいがない。
  5. 「独立思考者」現象  (監護親の影響が深く疑われるような場合であっても、標的親を避けるのは自分自身の考えであると、頑なに主張する。)
  6. 標的親への扱いにたいして、後ろめたさや罪悪感がない。
  7. 標的親だけでなく、その親戚なども、拒絶するようになる。
  8. 標的親と対立する監護親への無条件の支援。
これを知っていた上で、片親疎外という現象を見直すと、
片親疎外の定義がこれらの核心部であることがわかります。
ここに挙げたのは、実際に観察されやすい現象なのでしょう。

これで見る限り、うちの子供らは、まだ症状が軽いのかもしれません
(むしろ、より重かったのは二女?)。
とはいえ、裁判所の報告書から、この全てのカテゴリーの現象が確認されます。
  1. 私に暴力を振るわれたことがある、というキャンペーンを展開中。ただ、詳細は語れない。
  2. まだ妙な理屈はあまり持ち出していない。怖いとか会いたくないという理由を何度問われても、まだ答えられない。
  3. 妻の言い回しをそのまま使っている(ために、二人とも同じことを言う)。
  4. 拒絶することに、迷いや、ためらいがない。
  5. 標的親を避けるのは自分自身の考えで、妻からの指示はなかったと主張している。
  6. 標的親への扱いにたいして、後ろめたさや罪悪感が、まだちょっとあるみたい。
  7. 標的親だけでなく、あんなに仲が良かった姉たちも拒絶するように変化してきている。
  8. 食べられればオッケーだし、外食でもかまわないし等々、家事をしない母親をかばっている(涙)。
この現象について、調査官がちょっとでも知っていてくれれば。
あんな結論の導き方はしなかったろうに。

ちなみに、その暴力キャンペーンに調査官が反応して、
3回やった面接で3回とも、詳細をしつこく問いただしています。
かれらはなんとしても、「父がふるう暴力を子どもたちが恐れている」
という証言が欲しかったのでしょう。
でも、こういう誘導尋問を繰り返していると、
そのうち子供がストーリーを作ってしまいます。

こうした、カウンセラーによる誘導が、虐待を捏造する
(そして、そのために子供の状態が悪化する)という現象は、
かなり以前から知られていて、だからカウンセリングでは禁忌なはずなんですが。

子育て・連れ去りと引き離しは心理的虐待である 2

社会への接点と、子供の時間とを、失う

子どもたちは、私と関わりのあるいろんなことから引き離されてしまいました。
同僚の奥さんがやっていた教室。友達もきてたのに。
ご近所の人たち(みなさんに可愛がられていました)。
姉たち。そして私。

調査書によると、私の家にいたときのことは思い出せないそうです(解離!)。

彼らが失った記憶は、たとえばこんなものです。

ここしばらく寒くて雪が続き、隣家との境が埋まってきましたが、
こんな休日は雪かきをしました。
家の隣の空き地に積み上げて、山をつくりました。
ワンボックスのバンくらいの山ができると、そこに滑り台をつくったり、
長男と掘り出して、かまくらをつくったりしました。
三女はかまくらの中で遊ぶのが好きで、二女や長女も混じって、
ままごとあそびをしました。
長男と私はそのまわりで雪合戦をしました。
雪だるまもつくりました。

近くの公園に、展望台のある小山があります。
こんな雪のときは、その山でそり滑りができました。
長男と三女がめいめいでそりを持ち、私はスコップを持っていき、
コースをつくったり、ちょっとジャンプできるようなコブをつくったりしました。
三女は私とそりにのりたがり、長男とはどちらが遠くまで滑れるかも競いました。

スキー場の、そり用のゲレンデにも行きました。
ゲレンデ近くのプールにも寄って、泳いだり温泉につかったりしました。

帰りぎわにふたりにアイスを買って、車のなかで食べながら
(夜ねれなくなると困るので、なるべく寝かさないように)帰りました。
でも、三女は、大好きなピノ(チョコレートでコートした、ひとくちサイズのアイス)
を買ってもらうと、ゲレンデの山を下りるまでに食べつくしてしまい、
よく箱を持ったままで寝ていました。
家につくと、そっと起こさないようにチャイルドシートから抱き上げるのですが、
しばしば目を覚ましてぐずり始めました。
家では姉たちが待っていたり、無人だったりしたのですが、妻の存在感は希薄で、
食事が用意されていたことはありません。
三女がぐずれば私が寝かしつけて、そのあと夕食の支度をしました。

本当ならこの冬くらいに、そろそろ三女にスキーを教えて、
ゲレンデに連れて行くはずでした。
長男はスキーが滑れるのに、三女につきあって、そりで遊んでいましたので。
自分で行きたいところに行けるようになる楽しさを、
ゲレンデのいちばん上から麓を見下ろす爽快感を、教えてあげたかった。

吹雪いて外出できないときは、長男とはよくベイ・ブレードで遊びました。
彼はいろんなパーツを持っているので、借りて、組んでもらいました。
長男は上手で、けっこう、白熱した良い勝負になりました。
三女も、ちょっとならまわせるようになっていました。

動物園には(飼育員さんたちに覚えてもらえるくらい)よく行きましたが、
冬季にも公開されるようになってからは、ちょくちょく「冬の動物園」にいきました。
そりを貸してもらえたので、そりを持って。
歩き疲れると、私がそりで引っ張って移動しました。
長男は、飼育員さんたちに、いろんなことを教えてもらうのが大好きでした。
レッサーパンダはいろんな果物を食べるけど、いちばん好きなのはぶどう。
アライグマが好きなのはザリガニ。
ザリガニは飼育員さんたちが、近くの池に罠をかけて捕まえてくる。

スケート場にも行きました。
長男はある程度滑れて、同い年くらいの男の子たちとあっというまに友達になって、
鬼ごっこをしたりしていました。
三女は、うしろから支えれば滑れる、ないし
歩くことならできる、という程度なのですが、
小学生の女の子のグループに混じって一緒にあそびたがり、
しばしば実際に場を仕切っていました。
私はその様子を、つかず離れず見ていました。

いちばん頻繁に行ったプールは、県立プールです。
二人共、プールが大好きでした。
長男とはたまに競いました。
彼は平泳ぎが得意で、私よりも速いことさえありました。
三女は向こう見ずで、自分の足がつかないところでも平気で飛び込みます。
目が離せませんでしたが、息が続かなくなると私の方にふりむいて、
私につかまって息継ぎしました。
いつも私が近くにいてサポートしてくれることを信頼していました。
どこに行っても、
帰りがけにはスーパーマーケットに寄って、食材を整えました。
姉たちはどちらかというと菜食なのですが、長男と三女は肉が好きでした。
カレー粉で下味をつけた唐揚げや、皮をパリパリに焼いたチキンソテーが好物でした。
みんなフライドポテトが大好きで、揚げる端から消えてなくなり、
ネタがつきるまで、競うように食べていました。

一年ずっとこんなかんじで。

夏の土日はよく、川か海で過ごしました。
子供を連れて行くのに好適なところが、クルマで小一時間のところにいくつもあって。
カヌーで川下りしたり。
岩場からとびこんでみたり。
魚をおいかけたり。
子どもたち、それもこれもみんな、思い出せないと言います。

これらの記憶の欠落を埋めたのは、私が蹴ったとか叩いたという偽の記憶です。
私を思い出すときに最初にでてくるエピソードがそれだとは断腸の思いです。
愛された、楽しい、温かい記憶の代わりに与えられたものがこれだというのは、
あまりにも不憫です。
この忌まわしい記憶の書き換えは、
妻が連れ去って引き離している間に起きています。
これは単純な事実です。

いまや子どもたちは、塾以外はずっと引き篭っているらしい。
土曜日には教会にいくのだそうで。
教会が社会との接点、、、まあまだ全てが失われていないだけマシですが。
それで、私への愚痴をえんえん聞かせられているらしい。
子供に、泣きながら、父親の悪口を言い続けているって、どういうことだろう?
妻には友達がいないんだろうなあ。昔の友達は、私ともつながっているので(?)、
絶縁状態みたいで。
でも子供を友達のかわりにしちゃうことで、
子どもたちの「子供の時間」が奪われています。

これは虐待です。