2014年4月24日木曜日

業務?連絡

匿名性が高いこのサイトですが、
いろいろ分けていこうかと思うです。


特にこれまで小声で話していた部分は別のところに移そうかと。

こっちは基本的に、もうちょっと正式なかんじ、
学術的な批判に耐えるかんじにしていって、

最終的にはブログじゃなくてふつうのサイトにしようかなと。
いつまでも匿名ですけどね。

まあ目次がサイトで、そのひとつひとつの記事をブログ的に
書こうかなと。ごめんよう、ふつうに働いていて、
サイトをつくる方法が、ほかにおもいつかなかったんだよう。
いきなり全部は書けないって。

あんまりいないかもだけど、小声のところが聞きたい方は、
アメーバを探してみてください。当面はそこにいます。
アイデアの核はそっちにあります。玉石混交ですが、きっと。

このサイトは整理していきますので、歌詞のとか、子どものこととか、
ネコのこととか、だんだん消えていきます。アデュ。
そんかし、もうちょっと安心してみていけるようにします。

子どもを意思決定者にしてはいけないこと(押尾先生のブログ)

この記事、極めて良いですね。
出典がはっきりしてるからたどれるし、
いろんなところがその考えにたどり着いていることがわかるので。

2014年4月23日水曜日

子育て:子どもの権利の対立と優先順位

似ているけど違う概念が、似ているのに、対立することってしばしばあって。
クルマの安全運転と、高燃費な運転って、
突き詰めると対立しますよね(黄色で止まる・止まらないとか)。

バーデン博士が指摘する、親族法の目的のなかの2つ

・親と子の家族関係についての基本的人権を守ること
・子どもの虐待を防止すること

は、似てるけど、違う。

オーストラリアでの方針をつくってるブラウン博士はそのイントロで
Most legislation, statutes or common law precedents place
the welfare, well being and best interests of the child
as the paramount consideration in decisions affecting their future.

と述べてます。このまんなかの3つを私は
子どもの福祉・良い適応・最善の利益と訳しました。
well being、善くある、が難しいんだけど、望ましくある・ふるまうことで、
外界と良い関係を築き、その結果、幸せである状態だとおもわれ
(これは棚瀬一代先生のyoutubeを何度もみて、こう思ってるのですが)。

もっとも、良い適応っていわれても、あんましピンとこない。
仏教哲学にそんな概念がありそうだけど、すぐ通じるかどうかわかんないし、
そもそもイマイマ、言葉が思い出せない(なんかないですかね?)。


閑話休題。もちろん、そのためには子ども自身の望みとか意見は尊重されねばならないんですが、
福祉・well being・最善の利益 と 子どもの望み・意見
は似てるけど、違う。そして、優先は前者にあるべき。
たとえば、「死にたい」って言われたら、とめるでしょ。
人は(特に、まだ判断能力が未熟な子どもは)、ときに間違えるもんだから。

家裁が後者に拘泥するのなら、指摘してあげねばいかんな。

2014年4月21日月曜日

概念の輸入の失敗?

たぶん女性の権利の拡大をやるときに、
まあ議員立法でばっばっと作ったみたいですが、
いろいろ「両論併記」的な微妙なところも、
どっちか一方の視点だけを仕入れたんじゃないかな。

DVは保護だけ。
子どもの意志を確認するのがいちばん大切。
みたいな。

ここでは、「子供の最大の利益」「ウェル・ビーイング(外界へ幸せに適応している状態)」
という観点がぬけおちた。
両方の親と子供の関係の維持が、これらに大切だということも。

なんでもそうだけど、うまくいっているシステムを変更するのって
けっこう難しい。えいやって全部とりかえるほうが簡単。
変えるのなら、もっとうまく行っているシステムをそのまま持ってくるべきだった。
すごいザルなことをやったから、
史上初の、精神を病んだ片親に全権を与える社会が誕生してしまった。
DV法の成立にご尽力された議員の方は、
その後、所属党内でえらくなられて、結局潰しましたよね、そこを。
ちょっと迂闊なんじゃなかったかね。

意思決定者に関して

1995年、いささか昔ですが、そのころからのオーストラリアの家裁の方針として、
なるべく子供を調停に参加させようという考えがあるようです。

これはその哲学の基本になっていると思われる論文です。
いいけど、慎重にやりなさいよ、というのが骨子ですね。

ちょっとシステムが違うので(調停員が子どものインタビューをする、
調停員はパブリックだったりプライベートだったりする、
調査官はいないが、仲介者とかがいる)
肩書を訳すのがちょっと難しいのですが、
まあ大意としてはこれでいいのでは。

子どもの意見を聞くのは基本的には望ましいことだけど、
注意せねばならないこととして、
  • 子どもは必ずしも本心を述べない
  • 子どもに余計なダメージを与えてはいけない

また調停員(日本なら調査官の仕事)は
  • 子どもの置かれた状況を配慮する
  • 子どもの心理について十分な知識と訓練
  • ダメだとおもったら手を出さない
  • 間接的に子どものニーズを調べる技術
を持っていることが求められています。
うちの家裁はダメダメだわ、こりゃ。

ちなみにPASという言葉はでてきません。でも内容を示唆してはいる。
そういう場合には参加させないで、治療をさせろと書いてありますな。

翻訳:子どもを意思決定者にしてはいけない

子どもたちを意思決定者にすることなしに、意思決定に子どもたちを関与させる


キャロル•ブラウン博士
オーストラリア家庭裁判所 裁判所カウンセリング 主席ディレクター
この論文は家裁・地裁協会北西部地域会議(1995年11月2-4日・スカメニアロッジ)で発表された。

別居と離婚の子供への影響は、広範囲でかつ強力である。1983年にアメリカで生まれた子供の59-60%が、17歳に達する前に、ひとり親世帯を経験すると予測されている(ワイツマン、1985)。子どもから親が引き離されることによる短期のストレスと、長期の影響の可能性に加えて、別居を取り巻く事象がまた重要になっている。

ほとんどの法律・法令または慣習法は、子どもの福祉・良い適応・最善の利益を、子どもたちの将来に影響を与える決定に際しての最重要な事項とみなしている。同様に、子供たちの願いもまた尊重されており、子どもの年齢や状況に応じて適切な重みが与えられる。これらの要因を考慮しながら意思決定を行う際、裁判所を支援することは、親権評価者の領域である。どの評価者も子どもの要求、愛着、願いを調査して裁判所へ報告するだろうし、どの裁判官もそうした要素を考慮するだろう。訴訟では、子どもの発達と家族関係のダイナミクスに詳しい専門家が子どもをインタビューして調査する。そのため、子どもに試行をする事件ではとても、たぶん行き過ぎるくらい、子どもは意思決定プロセスに関与することになる。

しかし、監護権・面会交流の事件の90-95%は調停や和解で解決し、ほとんど裁判に持ち込まれることはない(例えばPaquin, 1988を参照)。その膨大な数にもかかわらず、裁判所外で解決する場合には調停員ないし仲介者が関与することになる。つまり、イギリス、オーストラリア、カナダ、米国では、子どもたち は意思決定プロセスに関与しているとは考えにくい(Garwood, 1989; Meggs, 1993; Wallerstein, 1987)。そこで、子どもぬきになされる決定が、子どもの感情的・物理的適応に影響することになる。しかも、その決定は、別居と離婚に際して自分と子どものニーズが違うのだということを忘れがちな両親によってなされる (Wallerstein and Kelly, 1980)。

次の仮定――親が子供たちのために安全に話せること、子どもとの接点がない調停員や仲介者が子供の利益を保護するために介入できること――はきちんと検証されるべきだ。両親が通常の保護能力を減少させていること、また子どもが両親の別居について罪悪感、見捨てられる不安、和解への淡い期待、などをかんじていることを考えると、子どもを別居や離婚にまつわるプロセスに参加させることを真剣に考慮する必要がある。

子供たちは調停や調停に関与すべきか?


調停や和解に子どもたちを参加させることの議論は続いている。Emery (1994, p.137) は監護権争いの過程で子供たちがするべき役割を「だれかが調停、訴訟や、両親のそれぞれの弁護士間での裁判所外の交渉のいずれかを考えているかどうかという議論をよぶ問題」とまとめている。彼は、子どもたちは意思決定にかかわる権利を得るのではなくむしろ、彼らの親が合意に至らなかった何かを決定する責任を押し付けられることを示唆している。彼はさらに、調停にこめられる暗黙的および明示的なメッセージは、自分の子にたいしての決定をする親の権利でも責任でもあると主張する。このため、彼はめったに子ども、継親、祖父母を参加させない。しかし、本論文の主張は、調停や和解で子ども、継親、祖父母は意思決定者の地位に置く必要はなく、また置くべきではないということだ。

調停や調停に子どもを参加させることへの賛否両論


子どもを調停に参加させることには多くの利点と難点があるが、最も基本的なことは調停員の理論的方向性である。Saposnek(1991年、P 325)が指摘している:
「親権調停員にはいろいろなタイプがあります:ひとつの極端では、調停員の役割は2親間の交渉の中立な仲介者ないしネゴシエータだと信じ、別の極端ではその役割が子どもの強力な擁護者にあると信じています。」
調停員はまた、子どもの権利に反する親の権利と責任をどこまで重視するかで、大きく異なる。Saposnek(1991)はまた、これらの概念をどう法令や法律に盛り込むか、そしてどう施行するかには文化の違いが影響すると主張する。彼はまた、言われていることと現実に起こることの間にも、しばしば不一致があると指摘する。つまり、子どもの権利を強調するこれら文化圏の調停者や意思決定者は、親よりもより多くの権利を子どもが持つべきだとは、必ずしも考えていない。だから、法律・特定の文化・哲学とは関係なく、子どもたちが参加することに関して意見の違いがあろうことは想像に難くないし、実際に違いはあるのだ。

子どもたちはめったに調停に参加すべきでないと主張する人々もいる。例えば、MarlowとSauber, 1990; Emery, 1994; Meggs, 1993によると
  • 意思決定――親には決定できない――の責任を子どもに負わせる
  • 親の権利と責任を侵食し、親の権威を損なう
  • 子どもを強者の座につかせることで、親子関係が壊れる
  • 忠誠心を二分しているだろう子どもに、更なるストレスを与える
  • 失望した親からの報復というリスクを与える
  • 親の葛藤に、さらに子を巻き込む
  • 調停員は、子どもの発達や家族のダイナミクスについての十分な知識や訓練や、離婚が子どもに及ぼす影響について適切な知識を欠くかもしれない。その意味において子どもの行動、主張、志向を解釈するのに不適格かもしれない。
調停に参加させるべきだという意見では (たとえば, Saposnek, 1983; Drapkin and Bienenfeld, 1985; Hodges, 1986, Wallerstein, 1987 and Garwood, 1989 and 1990)、次の理由を挙げる。
  • 親の焦点を、子どものニーズに維持することに役立つ
  • 子供たちは何が起こっているかを知る権利がある
  • 子供を調査した調停員は、子供の利益のために働き、能力をおとしている親のかわりに子供を守ることができる
  • 子どもたちは自分たちの感情を中立な第三者に伝えてプッシュすることができる、得にその第三者が親にその感情を伝えることに消極的である場合には
  • 調停員は離婚について、子供の恐怖や不安を軽減し、それらによる罪悪感に対処することができる
  • 子どもたちが親の別居について議論する機会を与えられれば、子供たちは自分の感情が重要であり、話を聞いてもらっているという感覚を得る
  • 親は子からのインプットがなくても交渉することができるかもしれないが、これは子供のニーズ・愛着・望みを反映するとは限らない。だから、子供が合意を検証することは、それがうまくいくであろう可能性を向上させる
  • 親どうしや親と子どもの間のコミュニケーションを開けておくのに役立つ。/li>
  • 親が、継続的な紛争の子どもへの影響を理解することができない場合、これは調停員か、調停員にたすけられながら子供自身が、親に伝えることができる

調停や調停に、どの程度まで子どもを関与させるのか


調停での子供からの発言は、もし認められたとしても、多くの場合、間接的なものである。離婚過程における児童の参加についてのある調査では、カリフォルニアの郡の家庭裁判所でおこなわれた32すべてのケースで、子供たちは親の選択について直接に質問することは許されなかった(DrapkinとBienenfeld、1985)。Paquin (1988)は調停に子供を参加させたとき、関係者は情報を得るための方法論をつくろうと試みていたことを報告している;幼い子供たちのためには相互作用的な情報の詳細を、より子どもの人格が完成に近づくにつれてより直接な質問ができるような。

パキンが調査した調停員は、これまでにダイレクトに子どもに、子どもがどちらの親をを選びたいか述べさせたことがあるかどうかについて、ほぼ半分ずつに答えが割れた。そこで彼は、以下の観察を行った。
「最も興味深いのは、このトピックに対する意見の隔たりです。ある人々がダイレクトに聞くべきだと信じているのに、別の人々は激しく、それに反対しています。ダイレクト派の人は、間接的な手法で得られた情報の信頼性に疑問を呈しました。多くの人が、すでに大きなストレスにさらされている子どもにとって、これがどれだけ微妙な問題かを指摘しています。これらの人たちは、ダイレクトな質問は、すでに脆弱になっている子どもたちをさらに動揺させると信じています。」(同書頁p.80)。
Paquinのもう一つの興味深い発見は、子供を参加させるべきだという、いちばん尤もらしい理由であった。
  • 就学前や就学者、前思春期の主張の無視
  • 両親は非常に高葛藤だった、ないし調停は行き詰まっていた
  • 思春期の子どもで、親が、子どもの感情やニーズに合意できなかった場合。

エジンバラ、イギリスで行われた研究では、子どもたちは19%のみがインタビューされていた(7%が両親からの要請、調停者の提案が6%、4%が両者からの提案、子どもと弁護士からの要求がそれぞれ1%ずつ) Garwood (1989, 1990)。この低い率は、そもそも子どもたちを調停に参加させるという政策をもった機関で行われた研究にもかかわらずの結果である。同様に、Pearson, Thoennes とHodges(1984)による米国での報告によると、調停のわずか25%で、調停員と面会していた。さらに、多くの州での調停サービスについて(※米国では、公的なもの以外にも民営のそうしたサービスが多数ある)調査したPearson, RingとMilne(1983)によると、民営の調停員が子どもに会う率(42.2%)のほうが、公的な調停員の場合(27.5%)の場合よりも高いことがわかった。

さらにGarwood (1990)によると、子どもを参加させる理由のほとんど(53%)は、子供に相談したり意見を聞くためであって、親に論点を絞らせるためというのは1/5(19%)に過ぎなかった。

子供たちをどのように参加させるか


子どもたちが調停や和解プロセスへどう参加するかは、かなり多様である。プロセスの最初から子が含まれていて、それのおかげで両親が子どものニーズに焦点を絞れていると主張する人たちがある。このアプローチの危険性は、地雷原を――地雷を除去せず、埋まっている場所の特定もせずに――横断する行為に例えられよう。

別の方法は、親が合意に達した後で子供に参加させることだ。子供は意思決定に関われないが、結果にコメントすることはでき、必要ならその結果を変更することもできる。

しかし、このアプローチには子どもに、参加して、話を聞いてもらったという実感を与えられないリスクがある。

別の方法として、調停員が調停や和解プロセスの早い段階で子供たちにインタビューし、適切な段階で、子どもの意見、感情や懸念を両親に伝えることもできる。こうすれば、調停員は、子供のニーズを推奨できる。この方法のリスクは、調停員が片方の親の側につき、他方を疎外しているように見えかねないことだ。それゆえに、子どもを参加させる前に、子どもからのインタビューからの情報がどう使われるかを説明し、両方の親からの信頼と協力を得ることが重要だ。

最後の方法は、子どもからのインプットが効果的だとおもわれる問題が生じたとき、定期的に、子どもを参加させることだ。このアプローチのリスクは、子供が問題を調停するか、少なくとも、子ども自身が意思決定を行うかのように感じさせることだ。

Paquin (1988)は調停員に、親と子をいっしょに出席させるかどうか、子どもの年齢を3段階にわけて(就学前・就学年齢・思春期)尋ねた。調停員たちは、就学前の年齢の子どもなら片親ないし両親と面談するだろうけど、就学年齢以上の子どもと両親とは別々に面談しそうな傾向があった。これは、面接官が年少の子供たちと面談するときには、より観察方法に依存すると説明されるようだ。

参加に関して子どもたちのコメント


Garwoods調査(1989年、1990年)での、調停での経験についての子供たちのコメントである。28人の子供たちのうち24人が、調停に出席して有益だったと述べ、それらのほとんどは、特に非親権親とコミュニケーションが明らかに改善されたと述べた。一部の子供たちはまた、調停では、彼らの感情をわかっている人が手伝ってくれることで、彼らがどう感じたかを表現できたと述べた。

子どもたちはまた、両親が別居または離婚した、自分の年齢の他の子供たちのグループと会って話ができないかと尋ねた。4分の3はこのアイデアを歓迎し、残りはわからないか、あまり気が進まなかった。

注意を必要としたことが、でも、いくつかあった。例えば、インタビューをうけた子供たちの何人かは、事前に形式についてもっと知らせてほしかったと述べた。彼らは、彼らが緊張していた、それは何が起きるのかを教えてくれていなかったからでもあると述べた。彼らは、準備するために事前に、どちらの・あるいは両方の親が会議に出席するのか、別々なのか、それとも他の家族と一緒なのかを知らせておいてほしかったと言った。

年少の子供たちの何人かは、調停者が言っていたことを必ずしも理解していなかったと述べた。これは、子供を扱うときに使用する言語と概念の選択についての明確なメッセージだ。

どうしたら子供たちを、彼らにを最終的な決定者にすることなく、意思決定のプロセスに参加させられるだろうか


調停プロセスへ子供を参加させる前に、調停員は、以下を自問自答せねばならない。
  • 私は子供たちと仕事をするスキルと適切な知識を持っているか? そうだとして、私は子供と快適に仕事できるか?  
  • 私の目的は、共同子育てのプランの作成、ないし両親との合意ができるようにすることか?  
  • 子どもの関与は、目的の達成に役立つか?  
  • 両親は、子供の参加で得た情報を建設的に使用するだろうか?  
  • 子供を参加させることは、子供に何が起きているのかを理解させ、彼/彼女の気持ちや願いが重要であることを感じるようにするために役立つだろうか? 

これらの質問のどれか一つでも答えがノーであれば、子を参加させてはならない。第2の質問に対する答えがノーで、それが家族のだれかが治療を必要としていることは明らかであったからなら、別の戦略を採用する必要があるだろう。

また子供を参加させると決めたのなら、調停員はこれを自問すべき。
  • 私はこの子について何を知ることができる?
  • 必要な情報を得るための最良の方法は何?
  • 子どもは自分の気持ちを話せるだけ成長している?
  • 私の質問への答えにかんしてどの程度の重さをあたえる? ないし、自分自身で突然に話したことをどの程度重視する?

ほとんどの調停員は3-4歳よりも小さい子を参加させようとはしない(Drapkin and Bienenfeld, 1985; Hodges, 1986; Garwood, 1989)。子供を参加させる適切な方法は、子どもの年齢によって違う。幼い子どものニーズ、愛着や望みを聞くためには、ほとんどの面接官は間接的な方法を使う:遊ぶ、「私の家族」の絵を描く、「3つのお願い」を聞く、投射テストなど。それ以上の年齢の、思春期の子どもたちには、自分たちの興味、ニーズ、好き嫌いに関する質問を直接的に受け止めることができる。子どもに「どちらの親と居たいか」という選択を、直接に意識させてはいけない。もし彼らが(※どちらかの親から何かを)申し入れられているときは、子どもの発言の真意を、発言が以下のどの状況下でなされたのかを考えた上で、注意深く解釈せねばならない。
  • 子どもの年齢と発達段階:認知的、感情的の両面で
  • 子どもの、どちらか・両方の・親への依存度
  • 別居前の親との関係と、それが別居後にどう変化したか
  • 家族間の葛藤のレベルと、これが子供の発言に与えるレベル
  • 子どもが、良好な関係を持っていたかもしれない親を非難しているかどうか
  • 「どちらと居たいか」が表明されるときの一般的な状況。

調停に来る時点ですでに、子どもたちは親から「自分の側に」味方して、そちらと共に居たいと言うように求められていて、その圧力を感じているはずだ。両方の親から取りつかれている子どもは、どちら側につくかを表明しがたくなり、多くの場合、質問されることを避ける。親からの罰や報復を恐れている子どもも、自分がどちらにつくのかという直接的な質問には答えがたい。これらのシナリオまたは類似のシナリオのいずれかに直面した調停員は、注意が必要である。DrapkinとBienenfeld(1985)、 Hodges (1986)、 Brown (1994)は、このような状況を警告した。(調停員ではなくて)親権評価者にたいしてのコメントではあるが、Brownは、自身と家族について聞く際に、子どもたちが快適に感じる限界を越えて、子どもたちに圧力をかけてはいけないと警告した:
「自らの認識や願いを語りたがらない子どもを前にして、彼らが快適だと思うゾーンを超えて彼らの親や彼らの境遇について話すように子どもを励ますことは、評価者にとってしばしば抗しがたい誘惑です。しかしこの誘惑は、どんな代償を払っても退けるべきです。なぜなら、すでに心に傷を負った子供に、さらに過度のストレスを与える原因となるからです。この情報は、他にもさまざまな方法で得られます。観察、テスト、より直接的でない質問:それも、子供がやりたがる活動についての質問。それをどちらの親とやりたいか、ではなく。」(p.458)。
同じ理由から、多くの著者が、子どもの言葉は文字通り解釈すべきでないと示唆している(Hodges, 1986; Paquin, 1988; Brown, 1993)。Paquin(同 上のp.308)は、調停の部外者から、子どもが強制されたり復讐されたりする可能性を指摘し、それが調停員が両方の側と、子どもを批判したり罰したりし ないように話をつけておくこと、そしてそうした態度がいかに子どもを傷つけるかをオープンに議論することで、減らせるかもしれないと述べた。

調停員はまた、子どもの証言をそうした方法で「翻訳」することに精通し、敏感でなければいけない;家族の動的関係からの支配力に応じて、調停員の介入を適切に加減しながら。

子供の参加を決めた調停員には、考慮すべき追加のガイドラインがある。子どもたちは、非現実的な期待と不安を避けるために、なぜ調停員と会っているかの説明が必要である。それは子どもたちが、これから起きるだろう事態を知るのにも役立つ。意思決定者の位置に子供を置かない、または少なくとも子供の負担を減らする1つの方法は、調停に参加する目的を子どもに説明することである。簡単な説明、「調停員は、どちらの親と暮らすのか、いつ別の親に会うのかを、親たちが決定するのを手伝うように依頼されています」が役立つだろう。それは親が決めなければならない、子どもたちではない、ということを強調すべきだ。

こういう方法で子どもと接するのは、子どもの信頼を得る上でも、子供がおそらく感じているストレスや不安のレベルを上ないためにも、重要だ。子どもの年齢に応じて、調停に先立って、まず期日に何が行われるのかをパンフレット、手紙、および/または説明で知らせることが、最初のステップとして役立つ。しかし、セッションの最初の部分は、子どもを安心させること、その子供について知ることがたいへん重要である。家族の問題や親の紛争を取り巻く出来事ではない。子供の印象を得ること、子どもと信頼関係を結ぶことは、子どもがなぜある考えに至ったかを説明するために良い助けになる。子供を深く知らなければ、誤解が起きやすくなる。

調停員と子の間の契約は、明示的である必要がある。この法分野では、調停員が裁判所にレポートを提供するとき、この契約は説明されねばならず、機密性についてどんな保証もされてはならない。子どもに次のことを指摘すべきである:このような状況下では、当然のことだが、裁判所に提示された情報は親に開示されるだろう。

調停員が裁判所に報告しない法分野については、機密性の程度と範囲が示されるべきである。これは、適時に行われる必要がある。子どもと話しやすい状態なら、プロセスの早い段階で、調停員が機密性について話し合うことができる。あまり話したがらない子どもなら、こうした率直な話し合いは、さらにコミュニケーションを難しくし得る。このような状況では、調停員は最初に簡単に機密性の限界を伝え、子供が微妙な情報を開示し始めたときに、気密性について子供に思い出させるのが賢明だろう。子どもは、調停が終わったあともずっと長い間、調停員の声明の影響を受け続けることを忘れてはいけない。親たちが子どものニーズに応えられない場合には、調停者は、子供を保護する権限を与えられている。これは、状況しだいでは、調停員が子どもに、自分の気持ちを明かすことを積極的に奨めることが不適切になる、ということを意味する。(※たとえば証言によって親から復讐される可能性がある場合は、秘匿させておくべきである。)

物理的な設定や調停員のアプローチも重要である。子供は調停員といて安らげるべきであり、設定は子供を歓迎し、楽しげなものであるべきだ。子どもたちにインタビューする準備も重要だ。箱庭や図(使いふるしていない、欠けたりしていない)が用意され、筆記用具や画材は手元にあり、全ての試験機材が整頓され、使用可能な状態であるべきだ。これは子どもに目的意識を伝え、セッションの重要性を示すことにつながる。とり散らかったインタビューやセッションは、その反対を伝えるリスクがある。

子どもが親と共に参加する計画のときは、親の行動にガイドラインと制限を設定する必要があるだろう、親の子育てのスキルや、どの程度に自分たちのニーズを抑えておけるかにもよるが。セッションの開始に先立ってそうした能力は調査され、そのガイドラインについて交渉されていなければならないだろう。

家族の中に複数の子がいる場合、通常、別々にインタビューするのが適切である、一緒にやる・一緒にやることを含める、よりも。これは、自分のニーズが他の兄弟のニーズとは独立して、尊重されることを、その子どもに示すことになる。また、支配的な兄弟の影響を小さくする。

ほとんどの調停者は、最も困難なケースは、どちらかの親、あるいは両親やその弁護士が、戦略的な目的のために子どもを参加させようとしているときだということに同意するだろう。これはその事件を、子どもによる裁判にしてしまうのと等しい。

このような状況下では、ほとんどの調停員は調停のプロセスに子どもを参加させることをやめ、子どもの声を伝えるための、もっと子どもに安全な方法を探す。しばしば、熟練した子供の気持ちの「翻訳」でさえ、親の失望から子供を保護することはできない。子どもたちは両親の怒りや不満から身を守るために、調停員との会談でも嘘をつく必要がある。

子供とグループワーク ―― 小児向けの別法


子どもが、家族内の葛藤や両親の離婚にかんしての気持ちをフィードバックする方法として、断然に、もっとも恐ろしくないやりかたが、グループでの方法だ。これはJohnston とCampbellが創始し、著書(離婚の閉塞、1988)で紹介した方法である。Johnston とCampbellのグループ閉塞モデルは、親たちのグループに添って走っている子どもらのグループのなかで、子どもがどのように参加したらいいだろうかという例である。慎重に子供と親の両方のグループを準備した後、3つのすべてのグループ(2つの親グループと1つの子どもたちのグループ)をいっしょにする。合同のセッションの間、子供たちは、物語を読んだり、あるいはあらかじめ用意したビデオを見せたり、ロールプレイをしたり、詩の暗唱、人形劇をみせたりして、両親に自分のメッセージを伝える。このようにして、個々の子どものメッセージは、自分自身と仲間の代表から、すべての親へと匿名性のもとに提示される。

要約

「子どもたちが、自身の生活の中で何が起こりつつあるかをよりよく理解できるように、子どもたちを参加させる」ということと、「子どもが置かれている立場がど んなものかをわかっている誰か(自分の考えに固執するあまり互いの違いを解決できない両親に変わる意思決定者、ないし同点決着者に、子どもをしてしまうこ とに反対するがために、子供を調停に参加させることに反対する)に、子どもが自身の考えを表明すること」との間には、かなり大きな隔たりがある。いまこの論文で擁護しているのは、どちらかといえば前者だ。しかしながら、突き詰めていえば調停者は、子供のための最善の結果を得るためという原則に従わねばならない。これは簡単な作業ではない、また確固としたガイドラインもない:それぞれのケースごとに、子どもへの短期的・長期的な影響から評価せねばならない。子どもが何人かいて、それぞれ違う望みを持っているとき、作業はさらに複雑になる。Paquin (1988)が指摘するように:
子どもを、いま以上の争いにさらしたくないというのは自然な願いです。し かしながら、もし子どもを参加させることで親を自分自身の不正から引き離し、子どもを助けるという本来の目的に引き戻すことで、親たちの行き詰まりを解消 できるのであれば、少しの間、子どもを紛争にさらすことで、公平な合意と、その先の紛争を減少することで、長期にわたって報われるでしょう(p.71)。
重要な点は、いま子供に苦痛や不安を与えることになっても、その後でずっと長期にわたって報われるという良い見通しがなければならないことだ。

参考資料

Marlow, L. and Sauber, S.R. The Handbook of Divorce Mediation. New York: Plenum Press, 1990.

Meggs, G. Issues in divorce mediation methodology and ethics. Australian DisputeResolution Journal, August, pp. 198-209, 1993.

Paquin, G. Protecting the interests of children in divorce mediation. Journal of Family Law, University of Louisville School of Law, Vol. 26 No. 2, pp. 279-315, 1987-88.

Paquin, G. The child's input in the mediation process: Promoting the best interests of the child. Mediation Quarterly, No. 22, pp. 69-81, 1988.

Pearson, J., Ring, M.L. and Milne, A. A Portrait of divorce mediation services in the public and private sector. Conciliation Courts Review, Vol. 21, Number 1, pp. 1-24, 1983.

Pearson, J., Thoennes, N. and Hodges, W.F. The effects of divorce mediation in the public and private sector. In J. Pearson and N. Thoennes (Eds.) Final Report of the Divorce

Mediation Project. Washington DC: The Children's Bureau, Administration for Children, Youth and Families, U.S. Department of Health and Human Services, 1984

Saposnek, D.T. The value of children in mediation: a cross cultural perspective. Mediation Quarterly, Vol. 8 No. 4, pp. 325-342, 1991.

Taylor, L. and Adelman, H.S. Facilitating children's participation in decisions that affect them: From concept to practice. Journal of Clinical Child Psychology, Vol. 15, No. 4, pp. 346-351, 1986.

Wallerstein, J.S. Psychodynamic perspectives on family mediation. Mediation Quarterly, No. 14/15, pp. 7-21, 1986/87.

Wallerstein, J.S. and Kelly, J.B. Surviving the Breakup: How Children and Parents Survive the Divorce. New York: Basic Books, 1980.

Weitzman, L. The Divorce Revolution, 1985. Cited by Paquin, 1987/88.

ウォラースタイン先生からちょっと引用:未知の領域に踏み出した社会

現在の状況は、人類史上に前例がないくらい酷いのでは

「セカンド・チャンス」 ジュディス・S・ウォラースタイン、サンドラ・ブレイクスリー 共著
高橋早苗 訳  草思社 1997年

最終章から、ちょっと長い引用をします。
ウォラースタインは離婚後の家族がどうなるのか、
長期にわたる影響について定量的な調査をした研究者・実務家で、
(これは米国の立法・司法の哲学の基盤になってる仕事)
この本は彼女のベストセラーのひとつ。実例をあげて説明してます。
いい本。
ちなみに彼女はPASや洗脳という見方をしなかったのだけど、まあそれはいいとして。

著者はこの最終章で、研究をふりかえって、総括しているのですが、
高名な文化人類学者のミード博士との会話を紹介しているのです。
とても興味深い。

アメリカ社会は、従来とはまったく異なる
未知の方向に向かって根本から変化しはじめているのだ。

このような変化について思いめぐらしていると、
1972年に人類学者のマーガレット・ミードと話したときのことを思い出す。
調査を始めたころに、
離婚家庭の子どもがどれほど悩んでいるかを知って動揺したわたしは、
真夜中のサンフランシスコ空港で彼女と会う約束をした。
彼女は、それが最後となったニューギニアへの旅の途中で、
出発時刻までの七時間ほどをいっしょに過ごしてくれた。
彼女もこの調査結果に貰いて、こう言った。

「ジュディ、人々が共同体からの大きな圧力を受けずに
結婚生活を続けている社会は世界中のどこにもないのよ。
あなたがこれからどんな発見をするか、だれにも予測できないと思うわ」

彼女の言葉を思い出すたびに痛感するのは、
人は、わずかここ20年ほどのあいだにみずからの手でつくりあげてきた世界
――結婚生活を好きなときに自由に終わらせることができる、
人類史上かつてなかった世界――
について、実際にはほとんど何も知らずにいるということである。

家裁の不作為(と弁護士たちのあいのり)で、
一人の親が、好きなときに子どもを支配して連れ去り、
そのまま自分の我を押し通すことができる社会になってしまいました。
この変化は、わずか10年でおきています。

その子どもは保護されるか? 
多くの母子家庭が貧困にあるのはご存知のとおり。法律が成立したくらい。
児相も、裁判所には口を出しません。
行政は責任を引き受けない・ないし、引き受ける能力がない。
連れ去ったものだけが全ての鍵を握っている。

こういう社会が実現したのは、今までになかったのでは。