第三者的な視点が、たいへん有り難いのでした。
ここでも取り上げられている内容なんですが、
たとえばDV法が、逃がすことに特化しすぎているという問題。
これ、私もすごく困っています。DVって訴えたもの勝ちで。
というか女性が訴えれば勝ちで。行政はそれで動くから。
捜査とか、教育とか、一切なしで。
痴漢冤罪と虚偽DVって、地雷みたいなもんですよね。
曲がり角で、棍棒を持った大猿の一撃をくらって死んだ。みたいな。
ここで、行政の、あるいは議員立法だったこの法律の、肩をもってみます。
これ、たとえば福島みずほ議員がつくった法律ですよね。
彼女は弁護士としての活動を通じて、悲惨なDVの現場をみてきた。
だから、被害者の保護を最重要と考えた。この動機は、正しい。
ただ、ちょっとだけまずいこともやっちゃった。
二種類の過誤
あらゆる間違いを二種類に分けることができます。- 本当は正しくないのに、正しいと判断する誤り・擬陽性 False positive
- 本当は正しいのに、正しくないと判断する誤り・偽陰性 False negative
この人こそ、探し求めていた運命の人だ! とか。
2. は「うっかり者の間違い」です。宇宙人といっしょにいても気づかないとか。
いい人って、どこにもいないなあ。 とか。
あらゆる判断は、正しいか正しくないかに分けることができます。
正しくない判断をゼロにすることはできません。
でも、どっち側により多く間違うかを調節することはできます。
この二種類の間違いは、両天秤です。
判断を厳しくするとうっかりが増え、甘くすると慌てものが増えます。
DVがあったのだろうという疑いが生じたとします
(そしてまあ、普通の感覚でいえば、それは調査するのですが)。
その結果、慌てものの間違いをやっちゃうと、冤罪が生じます。
うっかり者の間違いをやっちゃうと、悲惨な事件の兆候を見逃すことになります。
ふつう、どちらかというと慌てものの間違いのほうが悲惨です。
製薬会社なら、何億円もかけてつみあげた研究が水の泡です。
結婚生活は...
だから、ふつうは、こちらの方に制限をかけます。
たとえば、生物学での研究では、慌てものの間違いの確率を5%以下にすることが求められます。
まあ20回に1回くらいなら間違うことを許そうじゃないか、
そうしないと発見できないからな、と。
厳しいときは1%になったり、0.1%を使う人もいますけどね。
DVのときは、もっと発見側に重きを置く必要があります。
それは尤もなこと。
ただ、ちょっと制度上、そこを100%で運用しているのは、愚か過ぎないか。
いつも間違う人も組織も愚かですよね。
まして、そこを利用する法律家がでてきているのに放置するのは、まずいだろう。
なぜ調査しないんだろう
物事を調べるのは、手間も時間もかかります。でも間違いを減らそうとおもったら、そこにコストをかけるのは当然。
それをするために公的な機関なり事業なりを創立するべきだと 私も思います。
いまその役割を負っている機関が、まあ、いくつもあるわけですが、
相互に交流がなさそうだし、
訴えを受領するだけしか機能してなさそうだし。
実際、たとえば婦人相談所で何をやっているのかって、外からはぜんぜん見えないですね。
調査とか、能力的に無理じゃないかな。DV夫を制圧するだけの力もなさそう。
立法の段階では、みなさんそれら機関にすごく期待するみたいですが、
急に言われても、実務者の能力が急に伸びるわけがない。
うちの家裁の調査官、どうなのかなあ。
棚瀬先生の本をあげたら読んでくれるかなあ。
受け取れないって突き返されるだけかなあ。
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