2014年6月14日土曜日

司法統計・なにが相転移の原因?

急激な相転移には必ず原因があって、特定できることがある

調停や審判の事件数の増加傾向が変わったのは、
新しい法律か、法律の適用方法か、
なんらかの変化があったからではないだろうか。

最高裁の判例を見てみよう。裁判所のHPで紹介されている判例を
「親権or監護」and「子の引渡or人身保護」で検索すると、
30件ほどの判例が該当した

多くは、子どもを保護する際の、人身保護法の適用に関する議論である。
審判が正しかったかどうか、高裁への即時抗告の結果は、
基本的に最高裁では扱わないものと思われる。

これらによると、最高裁はわりと一貫して、離婚前の共同親権の際にどちらが
監護するかについて、子の利益を優先して考えることを求めている。
この事情はことに、審判の活用を説いた平成5(オ)609の判決文に詳しい。

これらの判決のなかに、相転移に関与したものがあっただろうか?


①から②へ

この転移は、該当するものが見当たらなかった。
この年には新しい法律や、民法の該当部分への改正もなさそうだ。

偶然かもしれないが、この②の期間は、国際婦人年からの、国連婦人の10年とおよそ一致している。
この間、政府は婦人問題企画推進本部を設置し、さまざまな男女平等への取り組みをしている。
こうした政策のなにかが、増加を緩和したのだろうか?

?? もしかして ??
ここまで、母親優先だったのが、崩れた?

②から③へ

この転移では、原因となったであろう最高裁判決が2つある。

昭和59(オ)97
これは、審判による子の引渡ではなくて、人身保護法をつかってもかまわないという判例。
事件そのものの詳細はわからないながら、子を引き渡すようにという判断である。

もうひとつは
昭和61(オ)644
意思能力のある子どもを、その意思に反してとどめおくことはできない、さらに、
洗脳されていた場合は、自由意志であるとは認められないという、
片親疎外の概念を織り込んだ判断をしている。

どちらも、連れ去り・引き離し親には厳しい判決ではある。
これらが相転移のきっかけになった可能性は多いにあると思う。
ことに後者は、たいへん珍しく、原審の破棄と差戻しをしている。
地裁への影響は大きかっただろう。

③から④へ

このタイミングで最高裁は立て続けに人身保護を4件も、憲法判断でもないだろうに、
原審を破棄、差し戻しをしている。

いずれにも共通するのが、子どもの連れ去りの違法性を重く見ないことである。
なかで最初の判決がその事情を詳細に説明している。いわく、

平成5(オ)609
昭和23年からの大法廷での先例を調べると、重要なのは拘束の違法性よりも、
「夫婦のいずれに監護せしめるのが子の幸福に適するかを主眼として」きた。
そこで、連れ去りや拘束そのものは問題ではなく、人身保護の適用外である。
むしろ家裁できちんと調査して、審判で迅速に判断するべきだ。

これを受けて、
平成5(オ)2108
たとえ乳児を母親のもとから連れ去ったとしても、
子どもの監護状況がさほどかわるわけではない。

平成6(オ)1437
親権を持っているほうが監護すべきだ。

平成6(オ)65
しかし、子の監護に問題があるときは引き渡すべきだ。
監護親に問題があるときは、審判で命令を出すべきだ。

と続いた。要は、それまでの判例を調べて、
連れ去りの違法性をスルーした判断がされていたから、
今後もそうするべきだという主張である。

そのときに、子どもの幸福に関する議論はでてこなかった。
たとえば(母からの乳児の連れ去りを許容した)平成5(オ)2108では、
昭和42(オ)1455を引用しているが、ここにも判断基準があるわけではない。
むしろ平成5(オ)2108は、
乳児を母親と引き離すことの非人道性を認識していた昭和42(オ)1455とは、
いささか異なる基準を用いているともいえる。
あるいはこれが、国際婦人年後の男女同権の考え方なのかもしれない。

いずれにしても、ここからまた増加が始まったとみて間違いないと思う。
連れ去っても(追い出しても)いいというお墨付きが出たわけである。
その際に、どちらが看護しても子どもの幸福に明白な違いがないのなら引き渡さなくていい、
しかし子どもの幸福が何かについては触れない、という判決だった。

2014年6月13日金曜日

司法統計・どこから指数関数的な増殖が始まったのか?

ことばの説明

きまった時間ごとに倍々に増えるこの対数規模の増加のしかたを
指数関数的と表現したり、対数増殖と表現したりする。
ある年のときの事件数は、たとえばこんなふうに表すことができる。

事件数 = a^年 (aの年乗, aは自然数で、この場合1.13くらい)
log(事件数) = log(a) × 年
ここでlog(a)は定数なので、log(事件数) が年に比例することになる。
だから前ページのグラフたちは直線で右肩あがりになっている。

どんな性質?

借金を返さないで、利息が利息を生む状態がこれである。
よく雪だるま式と表現するけれど、厳密には違う。雪だるまが増えるのは表面だけ。
対数増殖はもっと爆発的なのだ。

無菌的な培地に、一匹の菌を接種すると、このような増殖をする。
この増え方は、リソースを食いつくすまで続く(対数増殖期と呼ぶ)。
1リットルの培地に1ミリリットルの菌を植菌すると、
この菌にとっては1000倍の新天地を得たことになる。
それはたいした大きさのようにも思える。
しかし、30分ごとに分裂して倍に増える菌にとって、それは
10回の分裂を賄うには足りないことになる(2の10乗が1024)。
そこで対数増殖期は、最大でも5時間しか続かない。

この問題にとっての決定的なリソースは離婚数である。
現在、それは年間23万件ほど。面会交流の調停が15千件くらいなので
(10倍以上の余地があるので)あと20年程度はこの増加を維持できることになる。
もちろん、そのずっと手前で、なんらかの手をうたないと、地裁がパンクする。

いつ始まった?

司法統計で面会交流等のデータが出ているのは平成10年から。
それまでのは推定するしかないのだけど、乙4の総数が発表されている。

これでわかることは、まず、乙7がおよそ離婚数に比例しているということ。
ことに1980年以降は、一定の割合で、調停と審判とが発生していると考えてよい。

それに比べ、乙4は離婚数とは無関係に増加している。
ことに、戦後の混乱期から急速に減少したあと、1960年代から急激な増加に転じている。


乙4に集中してみよう。
1960年代から、だいたい4つの相があることがわかる。
赤の相①は対数増殖期で、なんとこの相では年率25%の伸び、
これだと2倍になるのに3年くらいしかかからない。

それがやや鈍化して相②に、やがて頭打ちして相③に、また増加がはじまる相④へと続く。
①から②の転移は1975年(昭和50年)くらい。②は86年くらいまでつづく。

相転移がわかりやすいように②から④の間を拡大してみる。
②から③の転移は、86年と87年のあと。
ここで86年がピークになっている、駆け込みが若干あった? ってくらいに。
それから9年ほどの停滞があって④がはじまっている。
しかし④の増加は単純な線形ではない。
たとえば2003年に伸びがとまる。
これは、例の養育費請求の頭打ちによるものである。
ここから先、乙4を押し上げているのは、主に面会交流と子の引き渡し、監護者指定である。

司法統計・そのほかの事件数

そのほかの指標との比較

面会交流(ないし面接交渉)が対数的に増えているのはわかった。
ではその他の事件数はどうだろうか?

離婚前である乙4のほかの項目のなかで、 監護権者の指定や子の引き渡しは、 面会交流とおなじペースで増加していた。 年間12ないし13%の増加、19年ほどで10倍になる。

しかし意外にも、離婚後の子どもの引き渡しに関する乙7には、こうした増加が見られない。

また養育費の請求は、2003年までは面会交流と同じペースで増加していたが、これは2004年で一応の歯止めがかかっている。

これはおそらく、2003年3月に東京・大阪養育費等研究会が発表した
「簡易迅速な養育費の算定を目指して-養育費・婚姻費用の算定方式と算定表の提案」(判例タイムス1111号)が、
迅速に受け入れられて、水準として機能したからだろうと推察される。

これによって、不要な紛争が、未然に防止されているのだろう。


調停はどのくらい役立っているのだろうか?

乙7では、だいたい、調停の新受件数のうち26%くらいが審判に移行するようだ(最近は上昇傾向)。
  (当年度の審判の新受件数)/(前年度の調停の新受件数) で推定 
面会交流は17%くらい。養育費請求は13%くらいなので、水準があると調停作業が捗ることがわかる。
もっともこの数年、ことに2012年は、養育費請求が審判に移行する割合が目立って増えている。
日本弁護士連合会から、算定表の見直しの意見書が出されたので、
この水準にチャレンジするケースが増加しているのかもしれない。

ちなみに、子の引き渡しと監護者指定に関しては、調停と審判ではほどんど件数が変わらない。
最近ではむしろ審判のほうが件数が多いくらいである(審判からスタートすることもあるのだろう)。
これらでは調停はまったく機能していないのではないか。

引き離しの件数の推定

面会交流の審判がなされるのは、調停が不調におわった後であろう。
面会交流が子どもの権利と考えられている現状からすれば、
調停員は多くの場合、監護親の説得を試みたはずである。
そこで、この審判の新受件数は、
監護親の意思が堅く、調停員の説得が功を奏せず、
引き離しが継続しているケースの数と考えて、それほど大きな違いはないだろう。

その際に、監護者の指定や、子の引き渡しを同時に訴えることも考えられる。
おそらくそのために、これらの審判の数がおよそ一致して推移しているのだろう。

片親がこどもを一人で監護するのは、かなりの重労働である。
まして就労していれば、その困難さは明らかである。
連れ去り後の早い段階で、子どもと関わることを諦める親も相当数いることだろう。
そこで、この数は、連れ去りの発生件数の推定としては不適当である。

実際、離婚後に紛争が生じる乙7の数は、離婚数の3.3%ほどで一定している。
離婚後に虐待などの問題が発生・発覚する割合が一定しているからだろう。

司法統計・面会交流事件が増えている

面会交流事件がどんどん増えている

まず気付いたことがこれ。

離婚数は減っている(緑色)。
ピークは2002年くらい、
年間に30万件。

ところが、面会交流の
申し立てはどんどん増えている。
いま調停が年間1万件くらい。
グラフがカーブしてるのが
わかるだろうか?

片対数にしてみるとはっきりする。
調停と審判が、
同じ傾きで、
直線的に増加していること
が明らかだ。


これはどういうことか?
   ↓
対数増殖期にあるということ。

複利計算で増えているってこと。
年率にして12ないし13%、
消費者金融の金利と同じくらい。
5年9ヶ月ごとに倍々になる。19年で10倍。


それが処理能力に影響を与えないわけがない。
事実、翌年に繰り越す調停の割合が、
じわじわ上がってきている。

裁判・司法統計を分析・資料

これで論文を書くんですが、製作過程をあげていきます。

記録の入手


裁判所は、毎年、どんな事件が何件くらい裁判所に持ち込まれて、
それがどう裁かれたかについて、統計資料を出している。
ぺらっとした冊子で、もちろん中身にはまったく立ち入らないんだけど、
それでも貴重な資料ではある。

平成12年からのぶんがネットで公開されている。
それ以前のものは冊子体で、たぶん大きな図書館や、
法学部をもっている大学には所蔵されている。

わが県にはそのどちらもなくて、検索をかけても出てこない。
地裁に聞いてみたら、もちろん持っているけど閲覧させる仕組みがないとのこと
(想像:ほかの資料と一緒になっているから、一般人を立ち入らせるわけにはいかない)。
県立図書館にも寄贈しているから、まずはそちらで見ていただけないかと。

あらためて県立図書館に問い合わせたら、平成5年から10年までの冊子体があった。
国会図書館には、戦後のがぜんぶ揃ってるんだろうけどなあ。。。。

まあでも、これでこの20年くらいの情報が。
冊子体ではもっとさかのぼって記録されている情報もあるので、
それらについては戦後の記録がひととおり手に入ったことに。

調べた内容

おもにこの2つ。
家事事件の、
子の監護者の指定その他の処分(乙4)および
親権者の指定又は変更(乙7)の
調停と審判の新受件数。

ざっとしたことをいうと、
乙4はまだ(離婚が確定していない)共同親権のもとでの子どもの扱い、
乙7は離婚後に親権を変更するときに生じる事件。

平成10年からは、この乙4は、さらに細分して次の4つの内訳を見せてくれている。
・監護者の指定
・養育費請求
・面接交渉 (→面会交流へと名前が変わる)
・子の引渡し

法律では

家事審判法の該当箇所
乙類
四 民法第七百六十六条第二項又は第三項(これらの規定を同法第七百四十九条、第七百七十一条及び第七百八十八条において準用する場合を含む。)の規定による子の監護者の指定その他の子の監護に関する処分
七 民法第八百十九条第五項又は第六項(これらの規定を同法第七百四十九条において準用する場合を含む。)の規定による親権者の指定又は変更

民法の、該当箇所の抜粋
(離婚後の子の監護に関する事項の定め等)
民法第七百六十六条
父母が協議上の離婚をするときは、子の監護をすべき者その他監護について必要な事項は、その協議で定める。協議が調わないとき、又は協議をすることができないときは、家庭裁判所が、これを定める。
 2 子の利益のため必要があると認めるときは、家庭裁判所は、子の監護をすべき者を変更し、その他監護について相当な処分を命ずることができる。
 3 前二項の規定によっては、監護の範囲外では、父母の権利義務に変更を生じない。


(離婚又は認知の場合の親権者)
民法第八百十九条
父母が協議上の離婚をするときは、その協議で、その一方を親権者と定めなければならない。
 2 裁判上の離婚の場合には、裁判所は、父母の一方を親権者と定める。
 3 子の出生前に父母が離婚した場合には、親権は、母が行う。ただし、子の出生後に、父母の協議で、父を親権者と定めることができる。
 4 父が認知した子に対する親権は、父母の協議で父を親権者と定めたときに限り、父が行う。
 5 第一項、第三項又は前項の協議が調わないとき、又は協議をすることができないときは、家庭裁判所は、父又は母の請求によって、協議に代わる審判をすることができる。
 6 子の利益のため必要があると認めるときは、家庭裁判所は、子の親族の請求によって、親権者を他の一方に変更することができる。 (監護及び教育の権利義務)

まあ明治期からある法律なんで、デフォルトの親権は母親ですが、そこは鷹揚にみましょう(笑)。

面会交流の調停の新受件数は、連れ去り(追い出し)の発生件数に近いのではないか

そもそも面会交流の調停はどんなときにおきるか?
離婚したいのだけれど、子どもをどう監護するかの意見があわない。。。なんてときには起きない。
これは、会えないから会いたい、だから起きる。
いま引き離されているから起きる。
家を追い出されるか、子を連れ去られるかして。

もともと、離婚のほとんどは裁判書を通さないものだった。
当事者が話し合って、まとまれば、市役所に書類を提出しておしまい。
あとまらなければ、円満調停なり、離婚調停なりをするのが本来だった。
ところが、最初に実力行使をして、
子どもを人質にとった上で交渉を有利に進めようという戦術が使われるようになった。
これが、面会交流を調停で話し合う素地になっている。
子の引き渡しや、監護親の指定も、これに類すると考えられる。
ただこれらはさらに、引き離された子どもが適切な監護を受けていない
状況を受けて、申立られるものと考えられる。

2014年6月2日月曜日

子育て:Maccoby and Mnookin 1992 調査概要

なんとなくわかってきた。この調査は、
裁判所の記録と、および(なるべく)両親に、

書類が提出されてから半年くらい(別居後半年くらい)
一年半(たいがい離婚が成立している)
3年半
の三回、電話でインタビューしている。

子供にはインタビューしてない。両親を通じて子供がどう考えているのかを聞いている。

さらに、子供のウェルビーイングは調べていない。

Amato先生のレビュー

しかしながら、これらの結果は、あまりにも楽観的なイメージを与えるかもしれない。裁判所は共同監護を望むカップルには、共同監護を付与する可能性が高い。カリフォルニア州におけるMaccoby とMnookinによる大規模な調査では、実務的共同監護を選択するカップルは、単一親の監護を選択するカップルよりも、高い教育を受け、高所得であることがわかった;さらに、比較的に敵対性が低く、父親は離婚以前から子どもによく関わっていた(66, 72)。これらの知見は、実務的共同監護が本当に効果的なのかどうかを試験する際に、擬陽性を与える可能性を示している。これらのカップルは最初から立ち位置が違うのかもしれない。

自分たちのの意思に反して実質の伴う共同監護が両親に課された場合、うまく機能するとは考えにくい。これらの条件下で、共同監護は父親と子供たちをより多く接触させるだろうが、両親間の葛藤は増えるだろう(73)。監護上の対立は比較的に珍しいが、Maccoby とMnookinは、こうした監護権の紛争を解決するために使用されていることを報告している。彼らの研究では、母親と父親がそれぞれ単独親権を求めて争ったケースの約3分の1に、共同親権が授与された。さらに、保護者の間の葛藤がより高いほど、より共同親権が付与される可能性が高かった。離婚後に三年半が経過した時点で、これらのカップルは、最初から共同親権を望んでいたどのカップルよりも、より多くの葛藤をもち、子育てではより非協力的だった。この知見は、共同親権の付与は敵対的な両親の関係を改善しないことを示している。

上述したように、研究は、両親の間で離婚後の葛藤が高い場合には、監護権を持たない親と子どもの接触は有害であることを示している。両親が葛藤の雰囲気の中にあり、実質のある共同監護が子どもと親との接触を続けさせるなら、これは益よりも害になる(74)。共同監護はだから、両親ともに協力的で、このような裁定を望んでいるときには、ベストな選択になる。しかし、親どうしが協力できない、または片親が暴力的または虐待するようなケースでは、より伝統的な監護権のあり方が好ましいであろう。

こうあったんだけど、実際にはこれに根拠があるのは、二つ目の段落まで。
その結果、子供のウェルビーイングがどうなったのかはわかんないんだ、調べてないから。
もうひとつ引用されている論文(74)は見当はずれだったことはすでに述べたとおりで。
まだほかにも論文あるみたいだから、調べるけど、かなり根拠があやしくなってる。
最後の段落はAmato先生の、執筆時点での意見、それも根拠がうすいものだったのかも。

また、もしウェルビーイングを実際に調べられたとして、
高葛藤な親ってのは、片方か両方が病んでいる可能性がけっこうあります(エビデンスあり)。
その場合、葛藤がどうのこうのではなくて、もうそもそも親の能力がダメで、
それでウェルビーイングが低下している可能性がすごく高いとおもわれる。
普通の親に関して、一時的に面会をストップして、なんていう実験でもしないかぎり
これは調べにくい(けどそれは非人道的すぎ)。

面会交流を続けることで、葛藤が低減しないのは、たぶんそのとおり。
病んだ親がいっそうダメになる可能性さえあるかもしれない。
ただその可能性があったとしても(そうなったときにおきる事故をふせぐためにも)
葛藤をつくりにくくして面会交流をさせるべきだってふうに
Amato先生も変わってきたんじゃないかなと。


いま谷垣法相と事務方は、共同親権の導入に慎重で、その理由が
「諸外国で問題が明らかになってきたから」を挙げているんだけど。
その根拠がたとえばこのへんのレビューだったら。

2014年6月1日日曜日

子育て:Maccoby and Mnookin 1992 父親の脱落

まだパラパラ眺めてる段階なんですが;
いい季節になってきまして(寒くない)
縁側に畳をしいて、ひっくり返って読んでます。アカシアの花の匂いがしてる。
しゃけがきて近くで寝てたり、またどこかに行ったり。

裁判所の記録をもとに電話でおいかけてアンケートをした調査なんだけど、
やっぱりそれなりに偏りは出ていたらしい(言及あり)。
たとえば、そもそも住所が特定できなければアウト。
わりと、裁判のあとで姿をくらましてしまうケースが多そう。

まあ多分そのためなんだろうけど、連れ去ってしまうような例はほとんどない。
っていうか、そういう変なのは最初から除外している。
でてくる皆さんは、子どものことをもっとまじめに考えている。

そうであってもなんだけど、
母が主に面倒を見ている場合、だんだん父が不在になっていく傾向がある。
これは著者たちが気付いている。なぜなのかには踏み込んでいない。
逆に、父が面倒をみている場合、これは起きない。
再婚したあとでも、実母には会わせている。

母が子どもを見ているばあい、抱え込んでしまいやすいのかもしれない。
ジェンダーとして、そういう性向があるのかもしれないし、
DV的なことがからむのかもしれない。

ちなみに、面倒をみている側は、そうでない側にいろいろ不満があるらしい。
まあそりゃそうだろうな、たいへんだもん、面倒見るの。
それがちゃんと出てくるあたり、普通な感じがする。
連れ去り・抱え込みって、やっぱ異常なんですよきっと。