わりとショッキングだったAmatoさんのあの見解ですが、いくつかの論文で支持されています。
とりあえずひとつ、今日よんでみました
(けっこう細かめに:だけど和訳はかんべん、じかんとれねー)。
Caught between Parents: Adolescents' Experience in Divorced Homes
Christy M. Buchanan, Eleanor E. Maccoby and Sanford M. Dornbusch
Child Development
Vol. 62, No. 5 (Oct., 1991), pp. 1008-1029
これはレビューじゃなくて、いわゆる研究論文です。社会学系の。
Amato 1994では、(74)として引用されている2本の論文のひとつ。
で、結論からいうと、これは違うなと思う。
この論文は、(青年期の子どもが)親の間に立たされていると感じるかどうかを、
電話インタビューした調査結果です。
それを「囚われた」Caught と称している。
もちろんそれは望ましいことじゃない。
それとは別に、ウェル・ビーイングは
品行(タバコとかクスリとか学校とか)と抑うつとで測っている。
囚われ感と品行・抑うつの間には弱いけど有意な相関がある。
親の葛藤と囚われ感にもちょっと相関がある。
だから、親の葛藤と品行・抑うつは無関係ではないんじゃないかと、この論文は推察している。
ただエビデンスとしては、親間の葛藤とウェル・ビーイングには相関はぜんぜんない。
ついでに、どっちが面倒をみていても、共同監護していても、ウェル・ビーイングには相関しない。
たぶん、親が協力的で、かつ共同監護すれば、いい結果になるんだろうけど、
そこまではつっこんで調べていない。
弱い相関は、無関係なのと関係するのが混じっていると、出ます。
たぶんこれもそうで、囚われ感が品行・抑うつの原因になっている場合、
その囚われ感は親の葛藤とは無関係に起きているのでしょう。
Buchananらは、囚われ感を、もうちょっと場合分けして調査すべきだった。
なにより、エビデンスは推察よりも重いので、そこは落ち着いて考えなきゃだな。
親の仲が悪くて、両親と頻繁に会わなきゃいけないとしたら、
そりゃ「間に立たされてつらいなあ」と思うのが普通だろう。
こんなん、調べなくてもわかるだろ? アホかって(それを読んでた俺っていったい....)。
どうもAmatoさんは自分ちでも調べているみたいで、
証拠はこれだけじゃないんだろうとはおもいますが、
まずひとつ、これは間違いでした。
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