2014年2月25日火曜日

裁判・東京高裁にみた良心

東京高裁 平25(ラ)1205号

昨日、お願いしている弁護士の○○先生のところへ、打ち合わせに行ってきました。

この先生はベテランで、それだけにこのへんの「相場観」に明るく、
またそれだけに、たとえば共同親権とか、頻繁な面会交流は困難だろうと
予想していらっしゃいます。

ある意味、もしこの先生を説得できないようなら、
裁判ではぜんぜん通用しないだろう、と思うです。

これ論文かくときもそうで。
指導教官がいる場合は、その教官を説得できないようでは、
その原稿は、まともなジャーナルにはアクセプトされないもんです。
共同執筆者の意見統一ができないときもそう。
私の場合、もっとも最初のハードルは、たぶんこの先生です。

さて、先達のサイトに、 表題の記事がありました。これは 判例タイムスの記事を紹介したものです。
これ○○先生の事務所でバックナンバーを見せていただきました。

先日の調査報告書で、うちの家裁に失望していたんですが、
なんだか司法を信じていいのかなと思わせる内容でした。
以下、かいつまんでご説明します。

事案のあらまし
夫によるDVを理由にして妻が娘(小1)を連れ去った別居で、そのまま引き離しています。
夫が理不尽な暴力をふるい、支配的であったため、逃げ出したようです(気の毒)。
ここには争点はなく、しかし、子供への暴力はなかったらしい。
子供は父には会いたがっていないらしい。
これには、あまりはっきりした理由がなさそう。
離婚協議が進行中で、面会交流を求めて審判がなされていました。
地裁で、月に一度の面会が申し渡されたのですが、
これを不服とした妻が即時抗告した事案です。
高裁の決定
原審判を取り消して、差し戻し、でした。
抗告を却下したのではなく、審判をやりなおせ、審理不尽であると。
では、審判のどこがダメだったのでしょう。

両親が高葛藤な離婚係争中であれば、子供に忠誠葛藤が生じるのは当然である。
その状態での発言をもとに、「会いたくない」と解釈することはできない。

面会の頻度と方法について話し合われた形跡がない。
その根拠も示されていない。

(さらに踏み込んで、)
両親が高葛藤な状態であるときに面会交流を命じても
うまく機能しないだろう。
第三者の介入をふくめ、禁止事項や順守事項を盛り込むといった
方策を示すべきだ。
子の福祉
私からみて、この決定の画期的なところは以下の3点ではないかと。
  1. 何より子の福祉が優先されるとしたこと。
  2. そのためには両親から愛されているという実感が必要で、そのために面会交流を望ましいかたちで実施すべきだとしたこと。
  3. 判例よりも、いまそこにある事実を尊重していること。
要は、「ちゃんと調べた上で、法律にあるようにやってくださいよ」ということですが、
どうすれば子供の利益が守られるか。地裁が、期待されている大きな役割を全うできるか。
こうなっていない現状を、上級審が認めたということが、画期的です。
司法がお白州を脱却していくステップを見る思いです。

ちなみに、これに関連する民法はこうなっています。

(離婚後の子の監護に関する事項の定め等)
第七百六十六条  
  1. 父母が協議上の離婚をするときは、子の監護をすべき者、父又は母と子との面会及びその他の交流、子の監護に要する費用の分担その他の子の監護について必要な事項は、その協議で定める。この場合においては、子の利益を最も優先して考慮しなければならない。
  2. 前項の協議が調わないとき、又は協議をすることができないときは、家庭裁判所が、同項の事項を定める。
  3. 家庭裁判所は、必要があると認めるときは、前二項の規定による定めを変更し、その他子の監護について相当な処分を命ずることができる。
  4. 前三項の規定によっては、監護の範囲外では、父母の権利義務に変更を生じない。
最初に、「子の利益を最も優先して考慮しなければならない」とある。
これでこそ、児童の権利に関する条約に加盟する法治国家の、あるべき姿でしょう。
でも、当たり前のことが当たり前にあるのは、じつは貴い。

この時間に関しての私見
このケース、奥さんの不貞もあったりするみたいなんですが、
「暴力によって支配」は論外ですよ。家族ってそういうものじゃないでしょう。
それはダンナが悪いよ。
子供にも被害が及ぶかもしれないって懸念も出てくると思う。
面会交流をみのりあるものにするためにも、
ダンナにもカウンセリングを行うとかして、
その暴力衝動の元にあるものを突き止めないといかんのでは。
そのまま子供に会わせても、子供が板挟みになっちゃいかねないし、
もし子供が片親疎外だったら、悪化させかねないし。

だから、そこまで踏み込んだ東京高裁の決定はエライと思うです。

あと、ここでは「片親疎外」というタームが使用されてませんが、
「忠誠葛藤」を使うことで、片親疎外の概念が盛り込まれています。
どうしたら、その葛藤のなかにある子供を救えるか、知恵をつくして考えていらっしゃる。
ここに、裁判官の良心を感じるです。

0 件のコメント:

コメントを投稿